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砂押貴久のエモーショナルライフ


「好きなことを仕事にする」戦い

大学生が考えた斬新なイベントは注目を集め、岩城滉一ら芸能人もプライベートで来るようになった。ある日、イベント制作会社の社長に誘われ、そのままイベント制作の業界に入った。

ここで一つの疑問が浮かぶ。政治の道に行くことを家族から希望されなかったのか?

林譲・エグゼクインターナショナル代表
写真:砂押貴久

と言うのも、よくよく話を聞いて調べてみると、曽祖父(林有造)は板垣退助らとともに自由民権運動を興した中心的人物で初代高知県令、衆議院議員、通信大臣、農商務大臣などを歴任した人物。

祖父(林譲治)にいたっては、憲法の公布や日米安保条約などを結び、戦後の日本を支えた吉田茂内閣時代に副総理、厚生大臣、内閣官房長官、最終的に衆議院議長を務めた。

そして、叔父(林ゆう)は、参議院議員を3期務め、第2次中曽根内閣時代には労働大臣だった(この時、安倍晋太郎が外務大臣、小沢一郎が自治大臣)。


曽祖父が大臣時代(明治時代)に送られてきた招待状の数々。小さい頃から宮内庁やホワイトハウス等から届く招待状を見ていたことも、現在の仕事(インビテーション作り)のこだわりに繋がっている。

インタビューで話を聞くまで、三代にわたって大臣を務めているとは知らなかったので、“本物の政治一家”だったことに対する驚きと同時に、これまでの家庭環境、品の良い佇まいや穏やかな話し口調などに合点がいった。

だが、「政治の道に進むことは勧められなかったが、父は僕に行かせたい大学や就職先まで考えるほどレールを敷こうとした。ただ、自分の好きなことをやりたかったので、すごく反発した」と振り返る。

アルバイトを通してイベント制作の楽しみを知って、10歳の頃に思い描いた「人の笑顔にであいたい。夢を与えたい。それを裏からニヤッと見ていたい」という仕事に巡り合えたからこそ、父と戦った。

その後、会社で経験を積んでいくうちに、プロデューサーとしてルイ・ヴィトンやカルティエ、バカラの展示会など、ラグジュアリーブランドとの仕事にも携わっていけるようになった。

この頃に「ファッションショーのような演出の世界より、パーティーのようなおもてなしの世界で働きたい」とビジョンを具体化し、1990年(当時29歳)に起業。エグゼクインターナショナルを立ち上げた。

しかし、美術デザインなどを行う制作チームとコネクションもでき、クライアントと繋がりも持っていたが、最初の3年間は思うように仕事が来なかった。

文・写真=砂押貴久

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