鋭い眼光やラグビーに対するストイックさから「孤高の天才」とも呼ばれているが、本人は「周囲が言っているだけ」と、いたって冷静。加熱する周囲の反応にも、「そのうち落ち着くでしょう」と気にしていないようだ。
大きなプレッシャーがかかる機会でも、ぶれることなく自身のパフォーマンスを発揮し、環境の変化やそれに伴う雑念にも、影響を受けることなく、自分らしさを貫く。
ラグビーを始める前の中学時代から、ラグビーワールドカップまでのラグビー人生を振り返りながら、常に高いパフォーマンスを発揮し続けられる理由を田村選手に聞いた。
大きなビジョンにつながる小さな目標を確実にクリアする
学生の頃は、医者や弁護士を目指そうと思っていました。祖父が弁護士だったこともあり、せっかくなら一流を、と。
結局は勉強が苦手だったので(笑)、スポーツの道に。中学生までサッカーをやっていましたが、中学3年生の時に、「ラグビーを仕事にして生きていこう」と決めました。
父親がラグビーをやっていたので(トヨタ自動車の元ラグビー選手で元豊田自動織機監督の田村誠氏)、小さい時からとにかくよくラグビーを観ていました。だから、ラグビー経験はゼロでも自分にはできると思ったし、「お父さんよりもいい選手になれるな」と、子供心に思っていたんです。
ただ、ラグビーで生きていこうといっても、具体的に日本代表になりたいと思ったことは一度もありませんでした。「ラグビーで生きていこう」という一番大きなビジョンは持ちながら、小さな目標を常に設定して、クリアし続けてきたような気がします。
例えば、高校ではラグビー未経験者として入部したのですが、その時に思っていたのは、少しでも上手くなりたいということだけ。練習をはじめて少しすると「試合に出たい」と思うようになって、練習を重ねる内に「チームで一番上手くなりたい」と思うようになっていきました。
こういう風に、少しずつよくなりたいという気持ちの繰り返しなんです。できることが増えると、もっと!という欲が出てきて、「全国大会に出たい」という目標を持つようになりました。
その延長線上で、「ラグビーが強い大学に行きたい」と思うようになり、明治大学を選びました。入学後も「1年生から試合に出たい」と、現状の一歩先にある目標を設定してはクリアしていきました。