カニエ・ウェスト、奇想の系譜と10億ドル「スニーカー帝国」(前編)

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名声が、ある初恋相手のもとに戻る機会を彼に与えた。スニーカーだ。2007年、彼は日本のアパレルメーカー、ア・ベイシング・エイプのために靴をつくった。初期アルバムにもいる子熊のキャラクターがあしらわれていた。(現在、この靴は数千ドルで取引されている)。

これが契機となり、ファッション業界の中枢にいる人々と懇意になった。例えばディオール・オムやイヴ・サン=ローランでクリエイティブ・ディレクターを務めているエディ・スリマン。「きみは靴に、ものすごく強烈な『何か』をしようとしているね」。ウェストはスリマンがこう言ったのを覚えている。

こうした励ましがあったからこそ、その直後にナイキのCEOのマーク・パーカーと飛行機で乗り合わせたときに、ウェストはメモパッドを取り出す勇気を持つことができた。ウェストは言う。「彼は俺がスケッチするのを見て『この男は面白いな、こいつと一緒に靴をつくろう』って言ったんだ」。

そして、「Yeezy」が生まれた。ウェストによると、パーカーは彼をエアジョーダンのデザイナー、ティンカー・ハットフィールドと同じ部屋で作業させた。08年の中盤、ウェストは「Air Yeezy(エアーイージー)」の試作品をステージで履き、そして09年に完成品が生まれた。

ヒップ・ホップは、ジャンルが誕生したころから靴と関わりが深かった。1980年代中盤のRun─DMCのアディダス「シェルトゥ」から、その20年後のジェイ・Zのリーボックに至るまで。ナイキにおいて、NBAスターのレベルで発表したのは、ウェストが初めてだった。

ウェストのビジネスの興味が変わり始めたのと時を同じくして、彼自身も変わり始めた。07年、母親が整形手術の失敗によって亡くなった。翌年、ウェストは婚約者のアレクシス・ファイファーと破局。アルバム『808s&Heartbreak』では、オートチューンを強くきかせた歌唱を取り入れ、ラップを捨てた。

そしてあの奇行を起こす。ウェストは09年、MTVのビデオ・ミュージック・アワードのセレモニーで壇上に上がり、最優秀女性ビデオ賞を受賞したテイラー・スウィフトの受賞スピーチを妨害し、ビヨンセが受賞すべきだったと言い放った。

この一件が激しい非難を浴び、ウェストはレディー・ガガと一緒にまわる予定だったツアーを中止、フェンディ社でのインターンのためにイタリアに渡った。ヨーロッパから戻ったときには、創造主への賛美は消え、自分自身が聖なる存在であると主張するようになっていた。13年のアルバム『Yeezus』では、彼は「俺は神だ」と宣言した。

2016年は物議を呼ぶツイートで幕を開けた。5300万ドルの借金があると明かし、自身のアイデアを実現するためにマーク・ザッカーバーグに10億ドルの資金援助を求めた。それから彼は最も野心的なツアーに乗り出た──そのツアーで彼は映画『未知との遭遇』から飛び出してきたかのような、宙に浮かんだステージで演じた。ウェストの妄言は、ツアーが続くにつれてどんどんひどくなっていった。

ある舞台では、ジェイ・Zが自分を暗殺させようとしていると示唆した。その年の最後には、ツアーを中止して入院した。それから、どこに現れたのか? トランプ・タワーに詣でて、大統領当選者とともに写真に収まったのだ(そして多くのコア・オーディエンスを失った)。

彼のキャリアはしかし、奇行では崩れない。(後編へ続く)

文=ザック・オマリー・グリーンバーグ 写真=ジャメル・トッピン 翻訳=有好宏文 構成=岩坪文子

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