ライフスタイル

2019.11.26 16:30

世界銀行も認めた最高の「Ibasho」とは何だ?

松浦 朋希

高齢者の居場所というと、決められたスケジュールやルールに沿ってケアを受けるというイメージが目に浮かぶが、この居場所ハウスは自由に出入りができ、過ごし方も決められていない。プログラムが開かれている時間もある。誰にも強制されず、参加は自由。いつでも気軽に立ち寄れて、お茶を飲んだり、おしゃべりしたり、本や雑誌を読んだりと、各自が思い思いに過ごせるのだ。

人は“食”に集まる

Ibasho Japanの代表で、オープンの少し前から大船渡に移住し、居場所ハウスの運営に関わって来られた田中康裕さんによると、2013年6月にオープンして以来、来訪者は4万人を超え、今も増え続けているとのこと。

ひとえにその理由は、「居心地の良さ」だという。プログラムに参加しない人が「何しに来たんだ?」という目で見られ、来にくくなってしまうこともない。自分ができるお手伝いをすることも、気持ちばかりの代金を支払って飲食をすることも、ここに来る立派な大義名分になり、どんな人でも緩やかに場所と時間を共有し、互いを認識しあい、見守りあえる場所になっている。

また、ここに来る人たちには、一方的にお世話されるのではなく、自分にできる役割を担い、一緒にこの場所をつくっていくんだという「当事者意識」がある。大工仕事から畑の農作業、パソコン操作、食堂での調理、配膳や皿洗い、会計、ゴミの片付け、クルミの殻割りまで、できることをできる人がやる。だからこそ彼らにとっての「居場所」になるのだと、田中さんは言っていた。

そしてこの日、私が改めて実感したのは、人は“食”に集まってくる、ということだ。実際、田中さんたちの調査によると、利用者が大きく増えたのは食堂がオープンした時だそう。

食堂をやるならと畑をつくり、たくさん採れた野菜は週末朝市を開いて売り、そこにまた人が集まる。一緒に食べるのはもちろん、畑仕事も、野菜を買いにくることも、料理も、掃除や後片付けも、“食”に関わる一人ひとりの全ての時間が、その場の一員になれる役割を生み出しているのだ。 


近くの畑で採れた野菜が食卓にのぼる

誰かが頑張って、一人で管理しているわけじゃなくて、それぞれができることを持ち寄ってみんなが力を発揮できる「居場所」。“食”が、そんな素敵な場所に来るきっかけをたくさん生みだしてくれているような気がした。


台所の様子

「津波があったからこそ、この場所がある」

もうひとつ、このプロジェクトで素晴しいと思ったのは、この居場所ハウスでの取り組みがしっかりと言語化され、世界に発信されていることだ。
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文:小竹貴子 構成:加藤紀子

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