日本で「ロイヤルファッション」は盛り上がるのか?

天皇皇后両陛下(Photo by Hiroki Watanabe / Getty Images)


現代は皇室ファッションを見習っていないようだが、昔はもっと人々のアイコンだったのではないだろうか。そんな疑問が湧き、江戸時代や室町時代の本をいくつか読んでみた。

昔の絵巻物を見ても錦絵を見ても皇室スタイルが浸透している雰囲気は、正直言ってわからなかった。むしろ、気づいたことは、歌舞伎役者や踊り子、遊女などの髪型、ファッション、美容は、一般人のファッションの原点のようなものばかりだった。

高島田とか島田髷といわれる江戸時代の人気の髪型も、静岡の島田市の遊郭が原点といわれている。眉毛をぬいて丸点を書く「引眉」は、今よりも占いに頼っていた時代に、人相学で悪い人相にならないよう、あらかじめ良い人相にするためというのが、美容業界ではよく言われている。

日本の美容は市井文化

これも皇室や公家というより、市井から出たものと言われている。いま芸能人のファッションやメイク、髪型が真似されるのと同じ現象であるのが面白い。

ところが英国では、キャサリン王妃の髪型は、彼女独自のものでない、平たく言えば普通の髪型だが、それでもスタイルブックが出版される。遠く遡れば、イギリス王室の洋服をつくるテーラーが世界で最初にタキシードを考え、それが一般のファッションにも多大な影響を与えてきた。

一方、日本の美容文化は簡単にいえば市井文化であり、一般社会の反映で、皇室とはむしろ別の文化として成長している。日本人は、個性が弱いとか自分の意見がでないとかよく言われてきたが、皇室など絶対的存在からは学ばず、街中で文化を生み出してきた。

現実こそ個性であり、いつでも新しい流行が生まれ、社会が活性化する。その社会構造や姿勢があるから文化が豊かになり、強くなるのだと思う。

福沢諭吉は「在野でありつづけたい」と言って官職を頑なに拒んだそうだ。在野、つまり民間の力、文化度が一番強いのを知っていたのだろう。そして、在野の社会現象は豪華絢爛ではないが、そこに美しさを見出すことができた。

美しくとも装飾華美にならない木造の家や、土と釉薬の流れだけでつくる土色ともいえる湯のみ。現代にも残る和装ファッションの浴衣が安い木綿であることは、ロイヤルファッションとは真逆のスタイルである。社会や自然と近いのである。

何年か前に、前の天皇陛下が中近東の王様と御所で対談された写真が話題となっていた。理由は会談の場所が質素な木造の部屋で、花が少しだけ活けられていたからだ。豪華絢爛のなかに美意識を見出すことよりも、自然に寄り添い、引き算の美学を持つ一般社会から生まれてくる日本文化は、サステナブルでもあり、日本をさらに元気に、そして豊かにする力があると思う。

連載:オトコが語る美容の世界
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文=朝吹大

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