常識の反対側に成功がある
──第1話、第2話では、周囲が反対しても、ご自身の心の声に従ってこれまでにない新たなサービスを開始したということでしたが、どんな考え方が背中を押したのでしょうか?
私は、「常識の反対語は成功」という言葉を大切にしています。常識の反対は「非常識」ではなくて、「成功」なのです。
この言葉に至るまで、何度も仮説→実行→検証のPDCAを回してきました。その中で、何度も成功体験を積み重ね、この仮説が少しずつ確信へと変わっていきました。
「常識の反対語は成功」であることに気がつくと世間体が気にならなくなりますよね。
成功する人が100万人に1人しかいないと考えると、99万9999人と違う生き方をしないと成功できないということになります。
成功者はいつだってスーパーマイノリティです。成功する前の出始めの頃は、多数決で負けて当然なのです。それがわかるともう気が楽になるはずです。
──原体験として、そうした「人と違うことが重要」だと感じるきっかけがあったのでしょうか?
私はアメリカで生まれて3歳まで育ちました。記憶にはありませんが、父からは、「お前はアメリカで生まれている」と言われ、学校では、「アメリカで生まれたんだってね」と言われるので、何か人と違うのかなと感じていました。
中学校2年生のときに父の転勤でドイツのデュッセルドルフという所に転校しました。今考えると未熟の極みですが、当時は日本の友達と過ごしたいのに無理やりドイツに連れてこられたと後ろ向きに考えて、家族がドイツに住んでいるのにも関わらず、高校時に1人だけ日本に戻ってきてしまったんです。
思い返すと、そのぐらいから他の人とは違う道なき道を進みはじめたのでしょうね。学校中で1人暮らしをしているのは自分だけでしたから。
とはいえ、決してかっこいいものではありませんでした。
まだ若いので生活設計がうまくいかず、しばしは遅刻や欠席をしてしまう日々。留年はしない程度しか勉強をせず、「そのうち結果を出せばいいんでしょ」と斜に構えていました。
ところが、高校3年生の10月も終わる頃、こんな生活で浪人したら自分は腐ってしまうと突如思い立ち、どうしても現役で大学に行きたくなります。勉強を本気で始めたのはなんとセンター試験の出願が過ぎた後でした。
小中高と公立でしたので、私立への憧れがとても強くありました。そこで、英語、日本史、小論文の3科目だけで受けられる慶應大学法学部法律学科を目標に決めました。残り3カ月でしたので、1カ月1科目ずつ勉強するというシンプルな勉強法を取りました。周りとは違う独自の勉強法でしたが、可処分時間の全てを勉強に注ぐという本気の取り組みを続け、最後に大逆転劇で合格することができたのです。
こういった海外での経験や高校時代からの一人暮らし、そして大学受験の逆転劇などの経験から、常識や一般論には何の意味もなく、人と違う道や常識、世間体は関係なく、自分の信じた生き方こそが大切だと認識していったのだと思います。