レストランに続き、松久はロバート・デ・ニーロとノブ・ホテルをつくり、その1号店を筆者の住むラスベガスに開いた。オープニングレセプションの模様がユーチューブで上がっているが、デ・ニーロと松久がまさに「タメ口」をききあってカメラの前に立ち肩を組む姿は、普段アメリカで肩身の狭い思いをしている日本人にとっては、鳥肌ものの感動的なシーンだ。
NOBU HOTELの内観(Getty Images)
松久は、今でも現役のシェフとして、自らの各レストランを突然訪れて、料理の監修をするし、Nobuブランドでレストランコンベンションに出るときには、自ら登場して腕を振る。24歳から海外で暮らしているだけあって、英語も流暢で堂々としている。外国語である英語を、あれだけ語尾に向かって強く発音できる日本人は少ない。
松久は、将来の夢やビジョンを考えるよりも、今、目の前にあるものをどうしたら少しでも良いものにできるか、そこにベストを尽くすのが自分の哲学だと語る。そんな松久のレストランは、もう世界中で40を超えている。
ペルー、アルゼンチン、アラスカそして米国本土と、渡り歩いてきたカリスマシェフには、いつまでも頑張ってもらいたい。それがアメリカに暮らす在米日本人たちの願いだ。
連載:ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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