「業」とは表立ってスペックというには気が引けたり、お金になるわかりやすい価値とは一見程遠い、自分としては過小評価している無駄な情熱。そこまでやれと言われてないのに、誰に頼まれたわけでもないのに「つい」考え過ぎる。「つい」手を動かしてしまう。「つい」やり過ぎてしまうもの。
傍から見て「努力の塊」でも、本人は努力しているとは思っていません。他人より長時間取り組むことが苦でないどころか、息をするように無意識にやってしまっているだけなのです。
「業」とは認知科学の用語でいえば、過去の経験に基づいて世界を見るその人なりの型や枠組み、認知パターンである「スキーマ(schema)」のこと。だとすれば自分のスキーマを他人様のお役に立つところまで磨き上げればいいはずで、「業」はプロフェッショナルへの最短経路といえるでしょう。
「業」につながる仕事はどんな分野であれ、何事かをなし遂げるにあたっての、しんどい時期を生き延びる「レジリエンス(粘り強さ)」になるものでもあります。スタートアップ界隈では、(『起業の科学』の著者田所雅之氏によれば)「Founder─Issue─Fit」=起業家とその解決したい課題が一致していること、つまり「数多ある事業テーマからどうしてその社会課題を選んだか」が重要であり、その必然性や宿命性が目標達成前に訪れる孤独でつらい夜を支えるといわれます。
しかし何も新しいヨコ文字を持ち出す必要はありません。「Founder─Issue─Fit」が言わんとすることは、「業」という遡ること数千年前の古代インド哲学に淵源するコンセプトに集約されているのです。
「業」とはいままで目をそむけていた、向き合うのを避けてきた自分の来歴や性癖であり、そこにこそネガティブ転じて莫大なエネルギー源、豊饒な鉱脈が眠っているということです。明日から私は何に力を注ごうかというとき、自分の足元にある「業」を見つめ直すことから始めてみると、信じられないほど大きな力が湧いてくるかもしれません。
あのゲーテが「星のごとく急がず、しかし休まず、人はみな、己が負い目のまわりをめぐれ!」と言っていますが、この「負い目」こそまさに「業」にほかなりません。過去と未来が輪廻する「業」をキャリアに活かす「業活(ごうかつ)」は、就職や起業だけでなく、すべての人にとって本質的な、生きることそのものだと思うのです。
あなたの「業」は、何ですか?
小林昌平◎電通Bチーム哲学担当。電通トランスフォーメーション・プロデュース局エヴァンジェリスト。複眼的で包括的なアイデア発想と粘り強い実行が「業」。スクーでの哲学講義も好評。
電通Bチーム◎2014年に秘密裏に始まった知る人ぞ知るクリエーティブチーム。社内外の特任リサーチャー50人が自分のB面を活用し、1人1ジャンルを常にリサーチ。社会を変える各種プロジェクトのみを支援している。平均年齢36歳。合言葉は「好奇心ファースト」。