ある日本人しか知らない、「鉄の女」マーガレット・サッチャー元英首相の素顔

日本で福利厚生の会社を立ち上げた際、サッチャー元首相を招いたパーティにて(1995年 左側が筆者)

2016年、筆者は「Tazaki財団」を設立した。同財団では16歳の高校生を対象に5年間の英国留学にかかる費用(約4000万)を全額支援している。返済不要の奨学金として国内最高額。

なぜここまでグローバルリーダーの育成に投資するのか。それは、筆者自身が身をもってその大切さに気づいたからだ。1962年、19歳の頃単身渡英し、ケンブリッジ大学に進学。卒業後に英国で創業した人材紹介会社ジェイエイシーリクルートメントは、現在世界11カ国で事業展開するほど成長を遂げた。

この連載は、今後日本や世界を牽引する若者に向けて必要なことを、筆者の半生を振り返りながら綴る奮闘記だ。


「田崎さん、大変です!」

1982年のある日、スーパーマーケットの責任者が血相を変えながら私のオフィスに駆け込んできました。

私が英国で経営していたスーパーで、日本から輸入した冷凍食品のコンテナ船が港に停泊したまま納品が滞る危機的状況が発生しました。責任者が港湾局に説得しても取り合ってもらえず一刻を争う状況でした。

私が確認したところ、港湾局に勤務する人たちがストライキを起こし輸出入の業務が全て停止していたことがわかったのです。一刻を争う事態を解決するために考え抜いた結果、私はある人物に手紙を書くことにしました。

宛先は当時の英国の首相マーガレット・サッチャー氏。手紙には、私が日本から渡英後にパブリックスクールを経てケンブリッジ大学を卒業し、英国で日本人向けのビジネスを展開していること、一刻を争う事態の詳細と解決をお願いしたいという内容に加え、私をグローバル人材へと成長させてくれた英国に対する愛と感謝などの想いについても書き綴りました。

手紙を送った直後、サッチャー元首相から一本の電話

手紙は英国で首相が居住する官邸の所在地である、ダウニング街10番地に速達で送りました。すると、信じられないことに翌日サッチャー首相が直接私に「この問題を直ちに解決するよう、港湾局に指示しました」と電話をくださったのです。

そして、港に滞留していた冷凍食品のコンテナは翌日無事納品され、危機を免れることができたのです。

スーパーの社員は皆喜び、無事巨額の損失が出ることを防ぐことができました。サッチャー首相にはお礼の手紙を出し、その後も日本から採用した人材の労働許可が下りず困った時など、ビジネスでさまざまな相談をするたびに親身に対応いただきました。このようなやり取りを何度も行っているうちに、首相という立場上、私と直接会うことはできなくてもお互いを知るようになっていったのです。

私は、10代後半の渡英前からパブリックスクールで学んでいた20代前半までは、引っ込み思案で自分の意見を言わずいつもニコニコしているような温和な性格でした。しかし英国に来てから20年が経過していた当時、若い頃は考えられなかったほど、新たな自分に成長していたのです。

会社と社員を守るために絶対に必要だと信念を持てることであれば、たとえ国の首相であっても物怖じせずに自分の要望を伝えたり、問題解決の際は誰よりも先陣を切って行動ができるようになっていました。

ケンブリッジ大学やビジネスで世界のトップクラスの人々と交流を持つことで自信と度胸がついていったのです。懸命に切磋琢磨したことで自然とグローバルリーダーとなるための素養も養われていったことを振り返ると、自己の成長には自分が置かれた環境や交わる人々から受ける影響は非常に大きいと実感しました。
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