セーヌ川に沈んだ「動くコルビュジエ」 日本人建築家が見出した可能性

アジール・フロッタンのために遠藤氏がデザインした工事用シェルターのイメージ(Endo Shuhei Architect Institute)


それでは、なぜ私だったのか。

ちょうどその頃、私はフランスで『パラモダン・マニュフェスト』という写真集を出版しました。たまたま、その写真集が有志メンバーの手に届き、「この日本人建築家と仕事がしたい」と気に入って私の事務所まで電話をかけてきたんです。

ちなみに、私は前川さんの弟子になったことはないんですけどね(笑)。

「コルビュジエの建築を復活させたい」と言う彼らに連れられて、当時はまだセーヌ川に浮かんでいたアジール・フロッタンを見に行ったのですが、外観だけではコルビュジエが手がけたものとは信じることができませんでした。

セーヌ川には、昔から高級レストランや富裕層たちの別荘としての船舶が浮いているので、そのうちのひどく古い一船にしか見えなかったのです。

でも、船内に一歩足を踏み入れた途端、コルビュジエの建築物だと確信しました。当時は私も知らなかったのですが、コルビュジエは飛行機や船の設計図こそ書いていましたが、動く建築物の完成物としてはアジール・フロッタンしか存在しません。

華奢な柱が計算し尽くされた間隔で並び、建築家なら誰もがすっと背筋が伸びるような雰囲気がそこには満ちていた。これはもっと多くの人にその存在を知られるべき建築物だと確信しました。

建築家の仕事というのは、基本的にコンペで取りにいくことがほとんどです。それが「コルビュジエの設計」という贅沢な条件と共にあちらから舞い込んできた。断る理由なんて、見つかりませんでした。

1930年のアジール・フロッタン
1930年のアジール・フロッタン (c)Getty Images

2005年から14年が経った今でも再生計画に進捗がないのには、大きく二つの理由があります。

まず、2008年のリーマンショックです。

私のメインの役割である、工事中に船を雨や風から保護するシェルターの設計を始めようとしたところ、資金援助を決めていたル・コルビュジエ財団や地元の企業が、未曾有の経済難を経験することになった。

いくら文化的、歴史的に価値があったとしても、そこに費やされる資金の重要性が低くなるのは仕方のないことです。こうして、再生計画は宙ぶらりんになってしまいました。

再び計画が動き出したのは、2015年にアジール・フロッタンが文化財指定を受けてから。それまで、市民の安全面を考慮して、老朽化の進んでいたアジール・フロッタンは何度も廃船の危機に直面していました。
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文=守屋美佳

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