インテリアデザイナーとしてロンドンで戦った女性が教える、暮らしを彩る3つの視点

キュレーションホテル「桃乃八庵」を手がけた澤山乃莉子と愛犬モモ

熱海で、古民家を再生し、地域のアートやクラフトなど観光資源をつなぐ拠点となる宿泊施設「キュレーションホテル」の普及を目指す女性がいる。

インテリアデザイナーの激選区・ロンドンで17年間のキャリアを積み、2年前に帰国、熱海へ移住した澤山乃莉子だ。

前回の澤山の記事では、彼女が日本で初めて手がけたキュレーションホテルの全貌をお伝えした。

今回は、新潟出身であり、客室乗務員のキャリアを持つ澤山がなぜ、ロンドンでインテリアデザイナーになり、熱海へとたどり着いたのか。その半生とともに、インテリアで暮らしを豊かにするヒントについて聞いた。


──なぜロンドンから熱海へ移住しようと思ったのですか。


私は、家族の赴任に伴い、1995年から23年間ロンドンに住んでいて、そのうち17年はインテリアデザイナーとして独立して仕事をしてきました。その間にシングルマザーになりましたが、地縁血縁のない地で生きて行くのは、まさに戦いでした。娘(ロンドンを拠点に活躍するアーティスト、リナ・サワヤマ)も成長したので、そろそろ日本へ帰りたいなと思っていました。

新潟生まれの私は、ロンドンへ移住する前は、大学時代から20年近く東京に住んでいましたが、地元愛が強いため、ロンドンでも新潟県人会の旗振り役でした。私の両親も新潟に暮らしていましたが、雪下ろしをしていたときに高所から落下してしまったんです。「余生は暖かいところで暮らしたい」と、10年前から熱海へ移住しています。

熱海はモナコの街並みに似ているとも言われています。山々を背景に、町が形成され、高台からは海を見渡せる景勝地です。豊かな自然もあり、山を登ったところにある十国峠から眺める駿河湾がお気に入りです。ロンドンから連れてきた愛犬モモと一緒に毎日、散歩へ行きます。

両親のように移住してきた「よそ者」も多いので、楽ですよ。競い合いは卒業して、穏やかに過ごそうと思いました。


──かつては客室乗務員をされていたそうですが、なぜロンドンでインテリアデザイナーになろうと思ったのですか。

大学では地理学や博物館学を学び、卒業後は日本航空の国際線の客室乗務員として30カ国を回りました。その時、ホテル暮らしが長かったのです。

それから1987年に開業した「ホテル西洋銀座」の立ち上げメンバーとして声がかかりました。小さなエクスクルーシブなホテルで、1人でコンシェルジュからビジネスまでを手がける、旅館で言う女将のようなシステムでした。


実業家である堤清二さんの思いが詰まったホテルで、特にインテリアに心血を注がれていたのです。椅子は半年に1回張り替えるなど、こだわっていました。ホテル内全ての絵の名前を覚えるなど、私にとって学びが多い2年間でした。

その後、日本では心理学や環境学を勉強しながら、ホテルのコンサルタントとして独立しました。

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文、写真=督あかり

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