死ぬまで舞台に立ち続けたい。三途の川を渡った男の「腎移植」という選択


メンバーの死が、病の体に重くのしかかった

糖尿病診断後も、食生活を改めない南部氏が、病を重く捉えるようになったのは、2015年のこと。電撃ネットワークの主要メンバーである三五十五(さんご・じゅうご)さんが、肺がんにかかり、52歳の若さで帰らぬ人となった。

三五十五さんは、40人の相棒と漫才をしていたという話芸を得意とし、電撃ネットワークのMCを務めた人。ネタを考案する「知恵袋的存在」で、メンバーの中でもっとも“無茶”をしてこなかったはずだったが──。

「あいつはタバコを口の中に入れてもみ消す芸をやっていました。いくらか肺に入ってもおかしくなかったと僕は思う。体に良いわけないですよね。でもそれが、僕らの芸ですから」

がんが見つかったとき、医師の余命宣告はわずか1週間だった。あまりに辛い現実だが、三五十五さんは、決して病に屈しなかったという。

「あいつは、今日より明日、明日よりも明後日と自分に言い聞かせていました。本当によく頑張りました」

電撃ネットワークのメンバーとして「もう一度舞台に立つ」という希望を胸に、余命宣告から1年8カ月生き抜いたのだ。

大切な人の生き様を目の当たりにした南部氏。しかしその体もまた、病に蝕まれていた。

三途の川を見た。はじめて「生きたい」と……

2017年、いつも通り仕事を終え、夜中に帰宅した。だが、どうもおかしい。呼吸がスムーズにできなかった。

「大丈夫? 救急車呼ぼうか?」

由紀さんの心配をよそに、「大丈夫」の一点張りだった。これ、ある種の職業病だろう。痛い怖い、などの感情を押し殺して、世界中の観客を驚かせてきたのだ。

だから、その日も立ったり、座ったり、横になったりしてやせ我慢。

気がついたら、集中治療室にいた。由紀さんが救急車を呼んでくれたおかげで、一命を取りとめた。

「生死を彷徨いながら、三途の川を見ました。その時はじめて、生きたいと強く意識したのです」

8時間におよぶバイパス手術は成功。「糖尿病合併心不全」だった。入院期間は75日にも及んだが、由紀さんは毎日のように病院に通い、南部氏のそばを離れなかったという。



断固として人工透析を拒否。「舞台に立てなくなるから」

その後も、試練は続く。糖尿病が原因で腎臓の働きまでも悪くなっていた。

健康な男性の腎機能を表す血中クレアチニンは、1.2mg/dl以下だが、南部氏のクレアチニンは9.9 mg/dlまで上昇。腎臓はほとんど機能していなかった。医師は『人工透析の準備をしましょう』と促したが、南部氏はこれを拒否。

人工透析は2日に1度の治療法。一度始めたら生涯続くことになる。

「電撃ネットワークは地方公演が多い。透析を始めたら、舞台に立てなくなる。この時ばかりは絶望しました」

人工透析を拒否し、インスリンを打ちながら舞台に立ち続ける日々。もう一回、あともう一回。もはや執念だった。

そんな南部氏に、医師は「腎移植という生き方もある」と提案したという。

腎臓が悪化し、末期腎不全に至ると、その治療法は「人工透析」と「腎移植」のいずれかになる。働かなくなった腎臓の代わりに、血液を人工的にろ過するのが人工透析であるのに対し、健康な腎臓を移植する根治的治療法といわれているのが腎移植だ。生命予後も、人工透析より優れる。

しかし、南部氏には、腎臓を提供してくれるドナーがいなかった。

脳死や心肺停止した人から提供される「献腎移植」の待機時間は、約14年。希望者に対して、ドナー数が圧倒的に不足している。

あまり知られていないが、日本は世界屈指の医療大国でありながら、100万人あたりのドナー数は「世界ワースト2位」である。

現在、日本で腎移植は、年間1700件ほど行われているが、そのうちの9割は、健康な親族から臓器提供を受ける「生体腎移植」だ。現代の医療において、血縁関係にない配偶者でも、移植は可能となった。

しかし、これも南部氏は「NO」と拒否。

妻の由紀さんに「きみの腎臓をください」なんて、とてもじゃないが切り出せなかった。もとを正せば、自分の不摂生が招いた事態だからだ。
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文=もろずみはるか 写真=曽川拓哉

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