壁は乗り越えられるのか? ゲイの父親を恨む娘の紆余曲折


同性愛者への偏見を隠さず、悪戯を仕掛けてくる中学生や、大学のゲイサークルの青年たちなど、ホームに外から関わってくる人々もいる。

中学生の落書きを消す作業のために呼ばれた細川と、彼を迎えた春彦の会話シーンは秀逸だ。黒のスーツ/白のスーツというビジュアルによって異性愛者/同性愛者の対比をくっきりさせているものの、二人は決して対立的ではないことがわかる。悪戯中学生とゲイの人々との間にあった壁は、ここにはない。

それだけに、自分は実は壁の向こうの人間だったと自覚した中学生の一人が、悪友らに見守られながら彼なりの決断をするシーンに驚かされる。

父親には依然として頑な態度の沙織も、ゲイの人々と交流するうちに徐々に心の壁が低くなっていく。ホームの一同で出かけたディスコでは、執拗に絡んできた山崎の元同僚の男と大げんか。この時、沙織を見つめる春彦の眼差しは暖かい。

その後の大団円のダンスシーンは、沙織の見せる初めての心からの笑顔とともに多幸感に溢れている。ここにあるのは、マジョリティとマイノリティの間の壁が一時的になくなった理想的な世界だ。

「触りたいとこ、ないんでしょ」

だがそこに至るまでに、ルビイが倒れて入院、ホームの経営も危機的状況、卑弥呼には死が間近に迫ってくる。そんな重苦しいムードの中のいっときの解放と前後して、春彦という一見クールな青年の心の揺れも繊細に描かれる。

春彦のアプローチに、沙織が応えたいと思ったのはなぜだろうか。春彦はゲイであり、憎むべき父の恋人であり、バイト代をくれるだけの人間に過ぎなかったはずなのに、いつの間にか沙織の中には、彼の孤独とやるせなさに寄り添う気持ちが生まれていたのだろう。

愛する人が死んでいく中で自分の欲望が萎えていくのを恐れる春彦と、欲望を持った一人の女として春彦を受け入れる心境になった沙織。しかし二人の不器用なトライは、セクシュアリティの壁の前に失敗に終わる。

「触りたいとこ、ないんでしょ」と沙織から図星を突かれた春彦と、期待したのにどうして‥‥という思いの沙織の、微妙な距離で並んだ寂しい背中。それぞれが勝手に傷ついてしまったこの場面の、いたたまれなさと切なさはたまらない。

ルビイの処遇に沙織が激怒してホームを飛び出したのは、もちろん沙織のまっすぐな気性もさることながら、春彦に裏切られたような思いが後を引いていたからに違いない。しかし、病床の父との最後の会話で、どうしても父を許すと言えなかったことは、しこりとして残っていただろう。

ずっとセクシュアルマイノリティとして生きてきた春彦も卑弥呼も、壁が高いことをよく知っていた。それでも、壁の向こうから沙織に手を差し出そうとした。それは、沙織という一人の人間とつながりを持ちたいと思ったからだ。

氷が解けるようにそれらのことを沙織が理解したのは、すべてが終わった後である。たとえ乗り越えられない壁が存在していても、父と生前の母が自分の知らないところで交流していたように、結べる関係性がないわけではないのだ。

彼女の心に溜まっていたもやもやとした思いが、ダムが決壊したように涙となって溢れ出た時、暖かい感動に胸が包まれる。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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