キャリア・教育

2019.11.08 08:00

三菱商事で得た起業のヒント 将来の妻が入社して急成長したビジネス

若き頃の田崎忠良

2016年、筆者は「Tazaki財団」を設立した。同財団では16歳の高校生を対象に5年間の英国留学にかかる費用(約4000万)を全額支援している。返済不要の奨学金として国内最高額。
 
なぜここまでグローバルリーダーの育成に投資するのか。それは、筆者自身が身をもってその大切さに気づいたからだ。1962年、19歳の頃単身渡英し、ケンブリッジ大学に進学。卒業後に英国で創業した人材紹介会社ジェイエイシーリクルートメントは、現在世界11カ国で事業展開するほど成長を遂げた。
 
この連載は、今後日本や世界を牽引する若者に向けて必要なことを、筆者の半生を振り返りながら綴る奮闘記だ。


ケンブリッジ大学の卒業を機に、英国で学び日本に還元するものは「日本で全寮制の英国式パブリックスクールを設立し、日本の若者をグローバルリーダーに育成するための支援をする」という案で具体化しました。

しかし、これから定期的にケンブリッジ大学に借金を返済しなければならないこと、英国に来てから5年経ち、私の成長を支援してくれた英国への愛と感謝も相まって、日本に帰国せず英国で就職先を探すことにしました。

英国でパブリックスクールを経てケンブリッジ大学を卒業した学歴を持つ日本人は前例がほとんどなかったこともあり、英国、米国、スイスなど多くの先進国企業から就職の誘いを受けました。

スイスの企業は面接のために往復の航空券を手配してくれたり、中には私がケンブリッジ大学にした借金を全額返済する条件を出したりする企業もありました。グローバルリーダーとなり得る人材の争奪戦は1960年代から始まっていたのです。

私は日本にパブリックスクールを設立するという大きな目標を実現するためにも、日本のビジネスの仕組みや慣習などを理解しておく必要があると考えました。

そして、三菱商事の英国現地法人の社長から、「日本は近い将来、米国に次ぎ世界二位の経済大国になる。日本の商社で働けば、日本の経済成長に直接貢献できる仕事に携わることができる」と説得されたことが印象に残り、給与面などの条件は他の企業よりも良くなかったのですが同社に就職したのです。

就職後は、日本から英国のさまざまな技術の視察を目的に来英する顧客や要人の通訳や同行などの仕事に従事しました。現在の日本が技術大国になり加工貿易が強みとなった経緯には、海外の技術を応用したことが生かされていることを目の当たりにし、日本が経済大国として成長する過程を直に感じる仕事を経験できたことはとても貴重でした。

しかし、英国に来てから5年間ほとんど日本語を使う機会がなかったので、日本語の能力が低下し漢字を忘れてしまい、報告書を提出する際に常識的に漢字で書くべき箇所をひらがなで書いたところ上司に叱責されることもありました。語学力は筋肉と同じで使わないと低下するもので、正しい日本語を学びなおす意味でも日系企業に勤めたことは正解でした。

雇われているままでは夢は叶えられない! 一念発起し起業を目指す

1年ほど商社でビジネスパーソンとして経験を積んだ後、ケンブリッジ大学で学んだ数学と経済の知識を生かしたく米国の企業で先物取引の仕事にも携わりました。

英国で日系企業の文化や、経済成長に重要な要素である需要と供給の仕組みのノウハウを叩き込んだ期間は武者修行と言えるほど良い経験でした。しかし、日本で学校を設立する目的を果たすには会社に雇われている立場では実現が難しいと判断し、一念発起し起業の道を選ぶことにしたのです。

起業のヒントは三菱商事に勤めていた経験から得ることができました。今後、英国を含め海外に進出する日系企業が増えてくることは確実で、それに伴い多くの駐在員やその家族が英国に住むことになる。彼らが現地で安心して生活ができるようなサービスを提供することに商機があると考えたのです。

大学への借金は卒業から6年後に無事完済することができました。しかし、借金は返済したものの、学費が払えず窮地に立っていた私に救いの手を差し伸べてくれたケンブリッジ大学と、私がグローバルリーダーとして成長する環境を与えてくれた英国への恩返しは生涯続けていくことを自分に誓ったのです。
次ページ > 将来の妻の入社

ForbesBrandVoice

人気記事