そしてついに訪れた憧れの都市は、何もかもが完璧だった。
青い空を突き抜けるシュテファン寺院の尖塔。テラスでワインを飲む陽気な人たち。公園に立つ音楽家たちの銅像と、ト音記号の花壇。プリミティブな東欧の風景は、初めて来たはずなのになぜか懐かしい感覚がした。
オーストリアと日本は今年で外交樹立150周年を迎える。
オーストリア史上最も有名な“女帝”
オーストリアの歴史はハプスブルク家なしに語れない。なかでもマリア・テレジアは世界的にも有名で、650年存続したハプスブルク家の唯一の女帝にして16人の子の母としても知られる。『ベルばら』でおなじみのマリー・アントワネットの母だ。
今から約270年前、戦禍のヨーロッパに君臨していた女帝は名君主であった一方、女性がゆえに王位継承やら相続やらで苦労を強いられた。
1740年、父であるカール6世が崩御すると「女性だから」という理由でマリアの相続を認めない周辺諸国と継承戦争が勃発した。
当時23歳、しかも懐妊中であったが「子が産まれれば国民の士気もあがる」とばかりに逆境も武器とし、持ち前の聡明さと政治力で領土を守った。
そんなパワフルな女性指揮官としてのマリアを象徴する絵画が、シェーンブルン宮殿の「馬車行列の間」にある。
1743年、ボヘミア王位を奪還したことを記念して開催された「馬車行列」の様子を描いたものだ。騎馬にまたがる若きマリアを中心に多くの女性が騎馬に乗り、かたわらに男性を従え行列をなしている。270年も前にたくさんの女性が集い、同じ女性として国を守り戦ったリーダーを讃え勝利を祝った。そのパワーは時代を超えて私たちに勇気と希望を与えてくれる。
クリムト“黄金時代”の女性モデルたち
オーストリアを代表する画家のひとり、グスタフ・クリムト。今年は日本各地でも展覧会が開催されているが、それでもウィーン現地でしか見られない作品がほとんどだ。そのひとつがベルヴェデーレ宮殿に収蔵されている。金箔を駆使した「黄金時代」の代表作『接吻』(The Kiss, 1907-08)。最も有名なクリムト作品と言ってもいいだろう。
クリムトは死ぬまで結婚することはなかったが、周りには常に多くの愛人がいたという。創作においても、後期は特にほとんどの絵の主題は“女性”だ。
描かれる女性たちは単なる絵のモデルという受動的な存在ではなく、独立心や力強さに満ち溢れて画家をインスパイアした能動的な存在、本来の意味でのミューズ──芸術、文学、知性を司る女神──として、文字どおり輝きを放っていた。
クリムトが活躍した19世紀後半から20世紀前半は、世界各地で女性参政権運動が起こり始めていた。
男性と同じく女性にも本来あるべき権利や自由、人間としての尊厳を当たり前のものとし、後世の女性たちが生きやすい社会となるよう女性が一丸となって戦っていた時代。クリムトや同時代の画家が描いた女性たちのなかにも、そうしたフェミニストの先駆者となるような女性たちがいた。
クリムト最愛の女性、エミーリエ・フレーゲもその一人と言える。独立心ある女性で、サロン経営者として経済的にも成功していたという。リフォームドレスという改良服を開発し、女性たちを窮屈なコルセットから精神的にも開放した。
そんなエミーリエをクリムトは最も愛し尊敬し、結婚せずとも互いに自立しながら関係を築いていた。天才画家が愛したパワフルな実業家女性の魅力は、絵画となっても健在している。