男60歳。昨年、ホームレスになった。 #東京の人

なぜカネハラさんはホームレスになったのか(写真=小田駿一)

10月の肌寒い日にもかかわらず裸足にサンダル履きであるということを除けば、その人は一見ホームレスだとわからないほど清潔感のある風貌をしていた。

カネハラと名乗った。昨年からホームレスになった、と打ち明けた。

なぜホームレスになったのか


背が高く堂々とした体格。鮮やかな色のTシャツに黒のズボン、少しくたびれたリュックを片方の肩に掛けている。髪は短く、髭はきれいに剃られていた。

法律や社会、時事の話題に明るく、知性を感じる。聞くと、日本大学法学部に在籍していたという。

なぜカネハラさんはホームレスになったのか。

そこには悲しい別れを発端とする、長年にわたる僅かな「敗北」の蓄積があった。

東京メトロ日比谷線南千住駅から徒歩5分程度。旧日光街道の先には東京スカイツリーがそびえる。明治通りと交差する交差点「泪橋」周辺に差し掛かると、僅かに退廃的な空気が漂う。

少し燻んだ顔色で暗い色の服を身にまとい、裸足にサンダル姿で歩いている、もしくは道端に座って酒を飲みながら話している、もしくは段ボールを敷いた上で丸まって寝ている男性たちの姿を頻繁に見かけるようになる。

いわゆる「山谷」と呼ばれていた地域だ。今の台東区日本堤周辺を指す。日本三大「ドヤ街」と言われたうちの一つ、日雇い労働者が集まる街である。かつて遊郭があった吉原にも近い。

「ドヤ」は「宿」をひっくり返した言葉である。「1泊2200円、電子レンジあり」などと表記した小さな宿泊所が軒を連ねる。その安さから、最近では若い外国人バックパッカーも多い。

トトロみたいに、台風をやり過ごした


取材の日は日本各地で甚大な被害をもたらした台風襲来の翌日だった。カネハラさんはどうやって台風をやり過ごしたのか。

「その辺の家の軒先を借りて雨宿りしながら、ビニールシートをかぶって、傘をさして、じっと耐えるだけだよ。ほら、トトロみたいにね」

台東区の避難所がホームレスを受け入れなかったことがニュースになっていた。避難所には行かなかったのか。

「そもそも、リアルタイムの風雨のピークの時間がわからないから。避難所まで移動できないよ」

そういえばそうだ。インターネットを使う術がないため、リアルタイムの気象情報を知ることはできない。この地域の日雇い労働者らの支援をする福祉センターも休日は開いていないから、テレビを見ることもできない。

どうしてもリアルタイムで情報が必要な時は、スマホを持っている若い「仲間」を近くで探し、尋ねるのだという。

「この辺の住民のみなさんは僕らプーちゃんが家の前で雨宿りしていたって、大目に見てくれるんだ」

弱い立場の人を追い詰めるのは違う


仕事のない日は日中、仲間と酒を飲みながら話したり、福祉センターで全国紙5紙をくまなく読んだりして過ごす。好きなテレビはNHK、NHK教育、民放も含めたドキュメンタリー番組。仲間たちから「なんでそんなの見てるの」とよく言われる。

世知辛い世の中、政治や経済、時事を知っておかないと生き抜けない。仕事のあるなしに直結するのは教養である、そう考えている。

山形の、蔵王の麓で生まれ育った。両親ともに公務員で、親戚も教員や公務員が多い家系だった。

日本大学法学部に進学したが、「途中でドロップアウトしてしまった」。その後、知人のつてで金融機関の法務部門に入社した。

時はバブル絶頂期。金融機関は「強気だったよ」。債権回収や保険商品にまつわる法務関連の書類の作成に追われた。不動産の差し押さえや貸し剥がし、反社会的勢力に向き合う仕事も多かった。

30歳で辞めた。「弱い立場の人を追い詰めるのは僕の理想的な仕事と違う。法律は『攻める』性格の人間じゃないと続かない。『とらばーゆ』しかない、と」
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文=林亜季 写真=小田駿一

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