テクノロジー

2019.11.02 18:00

全く別の人生を歩む「もう一人の自分」への共感


そのことを理解するならば、我々が、一度、深く考えてみるべき問いがある。

もし、自分のクローン人間が創られ、そのクローン人間が一つの人生を歩み、ある年齢になったとき、目の前に現れたならば、我々は、その姿に、何を見るのだろうか。

そのクローン人間は、自分とまったく同じ遺伝子を持った、もう一人の自分。

そのクローン人間と自分との違いは、これまでの年月に与えられた環境と経験の違いだけ。

そのクローン人間を見つめるとき、我々は、何を感じるのだろうか。何を思うのだろうか。

おそらく、我々は、一つの言葉を心に浮かべるのではないだろうか。

「可能的自我」

言葉を換えれば、「全く別の人生を歩んだときの自分の姿」。

もし、人生において、これまでとは違った環境が与えられ、これまでとは違った経験が与えられたならば、そのようになったであろう、自分の姿。

我々は、自身のクローン人間の中に、その「可能的自我」を、否定しがたい事実として見るのであろう。そして、そのクローン人間の人生がどのようなものであれ、我々は、そこに、深い共感を覚えるのであろう。

しかし、そうした空想的な思索を巡らすとき、その思索の深まりの中で、我々は、ふと、一つの真実に気がつく。

たとえ、それが自分のクローン人間でなくとも、同じ遺伝子の人間でなくとも、一人の人間として、この地球上に生まれ、異なった環境で育ち、異なった人生を生きる、すべての人々。

その姿もまた、本当は、我々の「可能的自我」であることに、気がつく。

文=田坂広志

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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