全く別の人生を歩む「もう一人の自分」への共感

現在、様々な倫理的、社会的問題を孕みながらも、世界各国で実用化に向けた開発が急速に進められているクローン技術。このクローン技術をテーマとしたアメリカのSF映画に、2000年に公開された『シックス・デイ』という作品がある。

後に、カリフォルニア州知事を務めたアーノルド・シュワルツェネッガーが主人公アダムを演じるこの映画は、「自分とは誰か」という意味でも、深い問いを投げかける映画である。
 
設定された舞台は未来。クローン技術の発達によって様々なクローン動物が生み出され、人類の生活に役立てられていたが、法律により、クローン人間を創り出すことは、厳しく禁じられていた。

この法律は、旧約聖書の創世記において、神が人間を6日目に創ったことに由来し、「シックス・デイ法」と名付けられていたが、アダムは、誕生日の夜、仕事を終えて自宅に帰ったところ、そこに、もう一人の自分がいて、家族とともに誕生日を祝っている光景を見て驚く。

このもう一人の自分がクローン人間であると気がつくところから物語は始まるが、二転三転する展開の中で、「いったい、誰がクローンの自分で、誰が本物の自分か」という根源的な問題に直面する。

また、同様に、クローン人間の問題を扱ったSF映画に、2010年に公開されたイギリス映画、『わたしを離さないで』がある。これは、2017年にノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家、カズオ・イシグロの同名小説を映画化したものであるが、この映画も、小説も、我々に、深く根源的な問いを投げかける。

これは、人間の寿命を延ばすために創り出され、臓器提供によって短い生を終えていくクローン人間の若者たちの悲哀を描いた作品であるが、こうした技術と制度が現実化したとき、果たして、そのクローン人間の人権はどうなるのか、その哀しみと苦しみを、誰が救うことができるのかという、極めて難しい問題を我々に突きつけてくる。

このように、現在、急速に発達しつつあるクローン技術は、クローン人間というものを生み出した瞬間に、我々人間に、「自分とは誰か」というアイデンティティの問題と、「クローン人間への共感」というヒューマニズムの問題を投げかけてくる。
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文=田坂広志

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