熱い心と冷たい頭。緒方貞子さんが教えてくれたこと


就労許可がなくなった友人の途方に暮れる顔や、日本にもういられないと帰れないはずの国に帰国した友人、生きてる価値がないと言う同世代や、入管の収容施設でハンガーストライキをして死んでいく人、命をつないだ国に、希望が見出せず鬱になる人がいる。なにもできてない自分が悔しくて、緒方さんにはまだ会えないと呪縛をかけていた。一方で、生き生きと一歩を踏み出した人たちも大勢知っている。試行錯誤の中で多くの人の力を借りながら、WELgeeは、難民の就活に伴走する事業を始めた。

就職を果たした7名の中には企業にイノベーションをもたらす人材もいた。「生きることは、働くことなんだ」という難民の若者たち、「新しい事業を成功に導く優秀な社員の一人として期待しているよ」という日本の企業の幹部の社員さんたち、家がなかった頃にうちの緊急シェルターに暮らしたアフリカの家族は、お父さんが就職し家族を支えながら、小学生のお姉ちゃんは今や日本語ペラペラで覚えたばかりの九九を教えてくれる。

ゼロからプログラミングを研修したアフガニスタンの同い年の人は、プログラマーとして日々師匠に学びつつ働き、独自のアプリを開発している。起業経験もある西アフリカ出身のSさんは、アフリカ進出を目指す上場企業の中核社員として採用された。

とはいえ、道のりは簡単ではない。まず言葉や文化の壁、「難民」という言葉からネガティブなイメージや、何よりも在留資格の壁など、新卒の日本の学生のシューカツと比べた時の壁は多い。そんな中でも、想いのある経営者の方々が「成長意欲の高い人材が欲しい」「誰もが上を向いて歩ける社会を作りたい」と、難民というレッテルを超え、ひとりの能力ある人材として捉え、採用に至ってきた。

政府だけが、難民問題を解決するアクターではない。彼らは、いつか平和になる祖国や世界の担い手であり、行き詰まった社会や会社に新しい風をもたらす。この、難民の就職に伴走する事業がもう少し形になったら、社会的・経済的・法的安定性を、政府だけではなくて民間企業と作ってゆくモデルを作れたら、彼女に会いに行こうと勝手に思っていた。息子さんに送るためのメールは、ずっとメールの下書きBOXにあった。

だから、緒方さんの死去のニュースに、悲しさと悔しさが押し寄せた。自分に対する怒りも沸いた。自分は変わってしまったのかもしれないとも思った。

いろんなことを知り、学び、希望を見出し動いてきたはずだったのに、現実を知った結果、考えすぎた結果、現実的なコメントをもらいすぎたわたしは、自分の感情に素直に「緒方さんに会いたい!」と叫ぶこともできない人間になっていた。

若者失格か? こうやって若者たちは大人になってゆく。バランスをとり、権力や大きな力になにも言わない大人になってゆくのか。豊かな感性を押し殺し、おかしいと思ったことを、おかしいと言わない大人になってゆくのか。

緒方さんが2019年10月29日にわたしに教えてくれたことは、もう一度、自分の心の声に素直になることだった。

『熱い心と冷たい頭(Hot heart, cool head)』

これも緒方さんの言葉。決してあきらめない強い決意と、熱心な思いやり、冷静かつ機転のきく優秀な頭脳。実際はうまくいかないことも多い。でも課題の大きさのせいにはしたくない。課題がでかいことなんてわかってる。しかし現場には、うまくいかない瞬間と同じくらい、心がときめく瞬間がある。

2019年、強制的に家を終われた人は7000万人となった。そんな中、これからも私たちは、たくさん未来に向けた戦略を練ってゆく。

一方的に「難民」を「支援する」のではなく、彼らと一緒に、イノベーションを起こしてゆきたい。唯一の正解なんてない。しかし世界の混乱の中で、どこの国にも所属できない人たちが、様々な課題解決のアクターになっていく未来がある。

緒方さんは、「国家主権の前でなにもできない国連」と揶揄される時もある組織の中にいることももちろん理解していたし、その存在の重要性も矛盾もジレンマも人一倍感じていた。でも最後まで不思議なほどずっと前向きだった。意志ある強い言葉と前向きさ。国際協調や、各国間の連携や、意志ある人たちの連帯を信じていた。それが世界を動かした。

「忍耐と哲学をかければ、物事は動いていく」(緒方さん)

緒方さんの存在に、背中を押されたたくさんの人たちの中の一人として、緒方さんに胸をはって報告できる世界の一部を作りたいし、作ろうと思います。天国で会ったら、今度こそ声をかけるんだ。

安らかに、お眠りください。たくさんの勇気をありがとうございました。

※ここに記したことは個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

文=渡部 カンコロンゴ 清花

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