熱い心と冷たい頭。緒方貞子さんが教えてくれたこと


先住民族の若者たちの中には、本気で社会を変えようとしている子たちもいた。首都の大学で学び、留学をして、いつか海外で学んだ知見を愛する故郷のために使いたいと、停電の中でも勉強している子たちがいた。襲撃事件で村が焼かれると、真っ先に現場に行くジャーナリストの友人もいた。カメラを持って現場に入ることで、自分がブラックリストに載ることも理解していた。

一人で考えていても、こんなことじゃ前に進まないと思って、進んだのが東京大学大学院「人間の安全保障プログラム」だった。人間の安全保障という概念が生まれたきっかけには、緒方さんとインドのアマルティア・センという経済学者が共同議長を務めていた『人間の安全保障委員会』(2003年)の報告書がある。冷戦が終わり、国境を超え多様化・複雑化した課題に人々が直面するいま、国家の安全保障だけでは人間の安心・安全を保障することは難しい。国家の安全保障と人間の安全保障は相互補完的な概念だ。

その大学院に入るために、上京したのが24歳だった。同級生たちは、もう社会人2年目だった。静岡県の田舎と、バングラデシュの先住民族の村にしか住んだことがなかった女の子にとって、人と情報に溢れた東京は驚きの連続だった。ああ渋谷のスクランブル交差点って本当にあるんだ、と思った日を覚えている。

いろんな人に出会った。これまでの人生で出会ったことがない種類の大人にも出会い、視野が広がった。

そんな中の一人が、日本に難民としてやってきた青年だった。コンゴ民主共和国という、うっすら名前は聞いたことはあるけど、地図上では明確に指差せない国から来ていた。「遠っ!」って思った。スーツを着ておしゃれな帽子を被っていた。

そんな彼と彼の友人たちには、家がなかった。夜はマクドナルドで過ごしたり、日中は山手線に1日7周乗ったりしながら時間を潰していた。終電までは寒さをしのげるそうだ。彼らがひたすらに時間を潰しながら待っていたのは「難民認定」だった。

それはどのくらいの人が得られるものなのか調べたら、その年は、7586人の申請者のうち、27人だった……。

これが、日本の難民が置かれる現状を知ったときだった。不当逮捕されて市民が殺されたり、女の人へのレイプや性暴力が権力に従わせる手段として使われたり、暮らしていた街が空爆されたり、学生の平和的な抗議運動を軍隊が制圧したりする混乱から、どうにか逃れ、希望を求めて日本にやってきた賢くて優しい同世代の若者たちが、東京でひたすら、どこにも所属できない宙ぶらりんな状態でいた。

少しずつ、そんな状態にいる人たちの存在が見えてきた。渋谷駅、日比谷公園、埼玉の蕨市……人に聞いて、足を運び、少しずつ繋がっていった。日本には政府の難民キャンプやシェルターがないので、モスク(イスラム教の礼拝堂)での仮住まいや最悪、野宿になる人もいた。冬は、特にきつい。24時間のマクドナルドで朝まで話しこんだり、寝袋でみんなで寝たりする中で聞いたのが、こういった話だった。

「今度の選挙が誰も死なずに終わるように、日本から仲間を手伝ってる」「ブロックチェーンの技術を使って経済圏を作りたい」「意欲があるけれど貧しい家庭の子どもたちの奨学金を作りたい」何だこの輝く人たちは! 聡明で優しい同世代たちの存在に、好奇心が掻き立てられた。

NPO法人WELgee(ウェルジー)は2016年、こうした対話から始まった。こんな魅力ある人たちがいるなら、それを伝えたいと思ったことから、最初は彼らと社会をつなぐ活動を始めた。ユニークな彼らが、国籍や民族や出身に関係なく、日本で生き生きと暮らし働き始めている社会を想像すると、この国にとっても、なかなかいいなと思った。模索の日々の中から「難民ホームステイ」という活動が始まった。

オフィスは無料で借してもらっていた1Kで、寝袋で寝ていた。いつも誰かが泊まっていた。難民の若者たちも家がないときは泊まっていた。日本の家庭で、難民としてやってきた若者たちが一緒に時間を過ごす。

10の都道府県で20のホームステイを進めてきた2017年の世界難民の日に、国連のシンポジウムに登壇者として呼ばれた。表参道の国連大学にある大きなホールだった。他の登壇者はみんな、国際報道の解説者や国連機関や国際機関や何十年も活動されてる支援団体の人だった。MIYAVIさんもいた。きれいめの服を着たものの、どう考えてもわたしだけ浮いていた

これならバングラデシュの先住民族の民族衣装でも着てくればよかったと思った。壇上で、当時進めていた難民ホームステイについて話した。「難民」と聞いた時の印象と、一緒に時間を過ごした後の印象は全然違うんだということを話し、同世代の難民の若者たちがもつ魅力について話した。かわいそうというよりは、これは日本にとっても、もったいないと素直に伝えた。

話しながらふと気づいたのたが、最前列で、こちらをじっと見ながら聞いてくれていた小さな女性が、……なんと緒方さんだった。

びっくりして息が止まりそうだったけれど、どうにかパネルディスカッションが終わった。単なる学生だったわたしは、終わった後、彼女に会うことができなかった。会いたかった。心の中ではすごく会いたかったけれど、おつきの人に連れられて見えなくなってしまった。まあ、彼女に会える立場ではないなと小さく納得した。
次ページ > それから数年が経ち...

文=渡部 カンコロンゴ 清花

ForbesBrandVoice

人気記事