あぁ、痩せたい。人はなぜダイエットにハマるのか

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「タグ付けしあう関係」から「踏み跡を刻む関係」へ

表向きは「健康のため」という人が多いダイエット。ですがその裏には、「やせて素敵になったと言われたい」という願望が多かれ少なかれあるはずです。ところがこのような承認欲求は、あまり良い顔をして受け入れられないため、たいてい人はそのような気持ちを隠します。

ですが、承認欲求は恥ずかしいものではありません。私たちは、他者とともに生きる社会的存在です。したがって、私たちは他者から何らかの形で承認されねば生きてゆけず、その意味で承認欲求はあって当然です。

だからこそ、行き過ぎたダイエットによって自分の身体が他者からの声で満たされないよう気を付けてほしいのです。今よりも素敵な身体になって、他者から心地よく承認されたいという願望から始まったダイエットが、他者と暮らすために必須である「何気なく食べる力」を奪い取り、あなたを社会から孤立させることになっては本末転倒です。



では、他者の声に漂流しないためにどうすれば良いのか。私が提案するのは、「自分を点ではなく、ラインを描き続ける存在として捉える」ことです。

これはどういうことでしょう。最近よく聞く「自分らしさ」を例に挙げ考えてみましょう。

自分探しをする人は、往々にして、他者と自分を比較し、他者よりも頭一つ抜き出た要素を「自分らしさ」と認識しがちです。ところがこうやって自分を探すと、永遠に他者と自分を比較し続けねばならないことになります。加えて、比較は競争を呼ぶので、他者よりも抜きん出ようと、追い越されないようにと、焦りが生まれます。「自分らしさ」を探した結果、他者ばかりを見ることになるのです。

他方、自分らしさを、自分が生きてきた軌跡そのものと捉えることで、この無限比較を抜け出すことができます。今までの人生の中でたくさんの人々や出来事に出会うことで作られてきた軌跡。そのラインは、あなた一人が引いたものではなく、多くの出会いの中で作られてきたラインです。その出会いの連なりを止めなければ、あなたらしさそのものであるラインは先に先に、と伸びていきます。

本の中ではラインを描く関係を「踏み跡を刻む関係」、そうでない関係を「タグ付けする関係」と書いています。「タグ付けする関係」とは、言い換えると、相手を点としてみなす打算的な関係です。相手はあなたを商品のようにみなし、価値があると判断すれば関係を持とうとしますが、価値がないと見るや関係を持つことをやめます。

他方、あなたが描いてきたラインに関心を持ち、ともにラインを描こうとする関係が「踏み跡を刻む関係」です。踏み跡を刻んでくれる他者と作り上げた人生の軌跡を「自分らしさ」とみなすこと。そうすることで、他人と自分を比べる意味は薄れてゆきます。

「踏み跡を刻む関係」というと家族を想像する人もいるかもしれませんが、家族も打算的な関係になりえます。例えば、「お母さんが恥ずかしくないよう、大学に行って結婚しなさい」というのは、「母」という自分のタグの価値を上げるために娘を利用としていますから、ラインを描く関係ではないですよね。

一方で、最初は「タグ付けの関係」であっても、ラインを描く関係に変化するものもあります。転職後も元の勤め先の同僚と関係が続き、結果、打算的な関係を超える場合などです。「タグ付けしあう関係」が何か揺らぎ、「踏み跡を刻む関係」に変化する時がある。その瞬間に目を開いていこうと伝えていきたいです。
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写真=曽川拓哉

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