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2019.11.01 18:00

少女はなぜ「犯罪者」になったのだろう。イランの更生施設で素顔を捉えたドキュメンタリー上映


もちろん親を殺すなどもっての外だが、カメラを見据えてしっかりと質問に答えるこの少女を、ひとからげに「殺人犯」と呼んでいいのだろうか。思わず、ためらってしまうほど、彼女は真摯に向き合って言葉を発するのだ。

作品のなかで彼女たちに用いている「早く、鋭く、深く」尋ねていく質問の手法について、オスコウイ監督に聞くと、その秘訣は通常なら会話の途中でするような質問からインタビューに入るのだと言う。例えば、「殺すのは大変なのかな?」と聞くと、彼女たちは面食らって、監督を納得させようと本当の理由を説明しようとする。

「心に小さな穴を開けたら心の中にあるものをすぐに取り出していく」ことが、これまでの少年の更生施設などでの撮影を通じて学んだコツなのだ。さらに、「会話をどうやって始めるかによって、彼らが話してくれる内容は変わる」のだという。


日本上映を記念して、来日したオスコウイ監督(筆者撮影)

とくに、少年の更生施設では、信用しても良いか話し相手を試したり、嘘をつこうとしたりする少年も目立ったという。一方で、少女の更生施設の撮影では、監督自身が自らの過去の体験を話し、これまでに撮った少年更生施設のドキュメンタリー2作品も見せた。「少女たちはいったん信用したら嘘をつかないし、自分たちの声を聞いてもらおうとする。さらに本人たちは顔を見せても問題ないと言うのです」と明かす。少女との間に信頼関係を築いているからこそ、率直な質問力が生かされるのだろう。

最初にオスコウイ監督が、少年たちの更生施設を撮影しようと試みたのは2006年だ。それから2作品を撮影するうちに、施設の奥に少女専用のセクションがあることを知った。

実は、本作は撮影許可が出るまで、リサーチは7年に及んだ。施設では3カ月間の出入りを許可されたが、撮影は20日間ほどで終わったという。イランのテレビでは放送せず、映画祭や大学、文化施設での上映に限ると言う取り決めで、撮影許可がおりたのだ。過去2作品を通じて、政府機関との信頼関係ができ、「あまりに粘っていた結果だろう」と監督は振り返る。


『少女は夜明けに夢をみる』(C)Oskouei Film Production

またイランといえば、厳格なイスラム教徒のイメージを持つ人も多いだろう。筆者は本作を通じて「イランの女性はこんなにも生き生きと歌うのか」と正直、驚いた。

「幸せだからって不幸な私を笑わないで/私だって若かったし恋もしたのよ/年老いて人生に疲れてしまった」

少女たちは、若いけれど、このような歌詞を、情感込めて熱唱する。オスコウイ監督は「施設でよく歌われ、よく聴かれる歌があります」と話す。日本で言う、刑務所の慰問などで歌われる八代亜紀の「舟唄」のような位置付けなのだろうか。寂れた感情を代弁し、悲しみを共有する歌なのだ。

少女のひとりが泣けば、隣の少女がひしと肩を抱き寄せる。少女の更生施設は、悲しみや痛み、弱さを共有する「共同体」のようだ。前述のシャガイエの釈放が決まった前夜、ほんのり月明かりに照らされるなか、彼女はその絶望を口にする。未来は明るいようで暗く、暗いようで微かに明るい。そんな運命の揺らぎを捉えた、珠玉のドキュメンタリーと言えるだろう。

文=督あかり

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