雑談から生まれた「異言語脱出ゲーム」
菊永が抱いていたもどかしい思いは、ある雑談をきっかけに解消の方向へと向かう。
「仕事帰りに友人と訪れた謎解きゲームが面白かった」と、施設の園長に伝えると、「それを交流会でやってみたら面白そうじゃない?」と提案された。
片言の手話を使うことのできる友人と参加した謎解きゲームで、同じチームになった聴者は手話を使うことができなかった。だから菊永は、聴者の謎を解く様子を見ながら、そして手話ができる友人の通訳の助けを借りながら、自分の意思を伝えた。聴者も、身振り手振りで菊永に言葉を伝え、チーム全員で互いの意図を伝え合った。
その日はゴールすることはできなかったが、謎解きゲームで達成感を覚えた菊永は、早速次の交流会の企画段階で、謎解きゲームを実現させるための準備を進めた。ゲームに手話を取り入れるだけではなく、ろう者と聴者が協力し合わなければゴールにたどり着くことのできない仕組みなど、ほとんど全てをひとりで考案した。
例えば、聴者が手話を使ってやり取りをしないと前へ進まない場面を用意した。聴者は、同じチームのろう者に助言をされながら、コミュニケーションを図る。そこで問題に正解すれば、次の問題に進むことができるという仕組みだ。
ろう者にしか分からない手話の映像を読み取る問題や、聴者にしか分からない音声を聞き取る問題など、互いに伝え合うことで解ける問題もゲームの中に取り入れた。
制限時間が刻々と迫る中で、「どうしても伝え合わなくてはならない」という一心で、参加者たちは、音声以外の共通言語を探し、互いの意図を理解する。
「伝わらない、理解できないこと」は誰にとってもストレスになるからこそ、分かり合えた時には、その瞬間にしかない快感を生むのだ。
「異言語脱出ゲーム」が世に出るまで
交流会でのゲームの様子を見ていた企業の担当者が、このゲームをさらに多くの人が参加する社員研修で試してほしいと買って出たことをきっかけに、菊永が考案した「異言語脱出ゲーム」は、他の企業も含め、社員研修として3年間で5回開催された。
毎回、参加者からの評判も良く「もっとたくさんの人に参加してもらった方がいい」という声が多く上がった。
こうした活動を続ける中で出会ったのが、東京国際ろう映画祭で代表を務め、映画作家でもあり、現在「一般社団法人異言語Lab.」でプロジェクトマネージャーを務める牧原依里だった。
ある企業の担当者が、「異言語脱出ゲーム」を「うちの会社から売りに出したい」と話す場面を目撃し、牧原はその日、運営メンバーと立ち寄った居酒屋で、菊永にこう伝えた。
「聴者とろう者が対等に楽しめるゲームは、今、異言語脱出ゲームだけ。そしてこのゲームは、聴者がやるのではなく、ろう者で発案者であるあなたが主催するから意味がある。ぼーっとしていたら、あっという間に他の誰かに取られちゃうよ」