ポスト資本主義の時代に「アジア的価値観」が求められる理由

野田智義


だが、フランス革命以降の西洋近代の成立とともに、世界は大きく西洋的価値観に染め上げられていく。自由な個人が、自己責任原則に基づく対等な関係で契約をし市場で取引を行うという市場経済原則は、神と人間の契約を、人間と人間の契約に置き換えており、きわめて西洋的である。

この経済社会システムが、あらゆる工程を効率化し、大きな利便性と経済成長を生み出した。そしてこの市場取引経済は、これまでの人間関係と人間存在のあり方を、システム化によって大きく変遷させてきた。



システム化の象徴とも言えるのは、コンビニエンスストアやファミリーレストランだと野田は語る。

「今日、コンビニに立ち寄った方は、お釣りを渡してくれた店員さんの顔と名前を覚えていますか? ……覚えていませんよね。私たちは、金銭取引によってモノやサービスを享受することが『当たり前』になっている。彼らに対して『ありがとう』を言うのではなく、彼らから『ありがとうございます』と言われる。

本来、かけがえのない人から享受するモノやサービスが“有り難いこと”だったからこそ、『ありがとう』という言葉をかけていたのに、システム化によって、あらゆることが『当たり前化』されてしまった。それと同時に、モノやサービスを提供する私たちもまた、システムの一部として、代替可能な機械部品となり、自らの存在意義が危ういものとなっていく。安心安全・快適便利な暮らしと引き換えに、私たちは『人間らしさ』を失ってしまったのです」

近年アメリカでは、「パワースポット」と称されるアリゾナ州・セドナや、市民組織「ネイバーフッドアソシエーション」を中心に「住みよい街づくり」が進められるオレゴン州・ポートランドなど、ローカルエリアに関心が集まっているという。ニューヨークやロサンゼルスといった大都市からローカルエリアへ移住する人も多い。

その背景には、究極まで追求された効率性や利便性から距離を置き、人が人として、かけがえのない存在として扱われる場所で暮らし、大都市では満たされることのない充足感を求めているのではないかと野田は指摘する。それもまた、場所はアメリカと言えど、非西洋的な価値観を尊重してのことだ。

「私もセドナやポートランドに滞在しましたが、そのスローな空気感や、人中心のコミュニティのあり方、『自然に抱かれている』という町のあり方に、若者たちが惹きつけられている様子を実感しました。人は個人としての自由を追い求める存在だけど、人とのつながりを感じられて初めて人としての生きがいを感じることができ、人からの支えがあってこそ自由を謳歌できるのです」

そして、私たち人間の二面性...... 資本主義社会に生き、システムによる利潤や利便性を享受したいと希求すると同時に、代替可能ではないかけがえのない存在として人間関係の中に存在したいという、二律背反性を自覚することから、「アジア的価値観」を取り戻す糸口はつかめるのではないか、と野田は語る。
次ページ > 「ありがとう」の一言で社会は変わる

文=大矢幸世 写真=ラン・グレイ

ForbesBrandVoice

人気記事