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フォーブス ジャパン編集部 エディター


アナウンサースクールに通い、勉強を続けていった結果、TBSのアナウンサー試験に合格。目標としていたアナウンサーになれました。その後、数カ月の研修を行い、それぞれの配属が決まることに。その際、会社には「ニュースを読みたい」「スポーツをやりたい」「バラエティーをやりたい」といった希望の配属先を伝えることができます。

ただ、私はとにかく「吉田を使ってみようかな」と思ってもらえた仕事を全力で取り組みたいと思っていたので、当時のデスクにも、「ジャンルを問わず、お仕事をいただけるなら何でもやります」というスタンスを伝えていました。


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そうした中で、私が昔から“やってみたい”と思っていた情報番組にアサインしていただけたことはラッキーだったと思います。やっぱり自分がやりたいこと、会社から求められること、視聴者が私に対して抱いているイメージ。その3つがすべて合致するのは珍しいことなので、やりたいことをやらせてもらえる環境をいただけて感謝しかなかったですね。

『サンデージャポン』の6代目アシスタントに抜擢していただいたときは、アシスタントを務めてきた歴代の先輩たちに比べると、私は個性が強いわけでもない。最初は「本当に私でいいのか?」と不安な気持ちでいっぱいでした。

ただ、番組の収録に入ったら割り切って、過去のことはあまり気にせず、自分にできる仕事、自分なりのカラーは必ずあると思い、全力で仕事に取り組みました。

子どもの命を守れるのはお母さんだけ

TBSに入社して8年弱。有難いことに多くの仕事を任せていただき、ずっとTBSのアナウンサーとしてキャリアを積んでいこう。子どもを出産し、母親になってもTBSでアナウンサーとして働き続けたい思いは持っていたんです。

ただ妊娠期間中、生放送の番組の途中に貧血で倒れてしまい、視聴者にも心配をかけ、会社にも迷惑をかけてしまって。その後、担当していた生放送は全部降りて、産休に入り、今後について考える中で「別の人生もあるかもしれない」と思うようになりました。



今までは私がレギュラーとして関わっていた生放送の番組を産休に入るタイミングで卒業し、子どもを出産する。それがベストだと思っていましたし、そうなるのが当たり前だと思っていたんです。ただ、現実は貧血で倒れてしまった。私は「生放送のレギュラーを続けたい」と主張したのですが、会社の上司、先輩、から「子どもの命を守れるのはお母さんしかいない。吉田にとって、いま何が一番大事なのか考えた方がいい」と言われ、そのときにハッとしました。「確かに、この子を守れるのは私しかいない」と。

文=新國翔大 人物写真=小田駿一

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