今回は、三井物産の海外ローカル社員(日本企業の本社ではなく、海外現地法人で直接採用された社員)から中東三井物産・副社長となったファイサル・アシュラフ氏との対談取材をさせてもらった。アシュラフ氏はどのようにして日本企業の文化に溶け込んでいったのか、そして日本の大手商社である三井物産は彼をどのように受容していったのか。
日本人は洞察力が高いので、一緒に仕事をしたかった
吉田:アシュラフさんは日本の伝統ある企業で、海外ローカル社員からスタートして、現在では要職に就かれています。アシュラフさんのような存在は、「日本社会が向き合うべきグローバル化」を考える上でさまざまなヒントを我々に提示してくれるように思います。
アシュラフさんはどのような経緯で三井物産に勤めることになったのですか。
アシュラフ:私は大学卒業後、1980年代後半に母国インドでソフトウェア開発をするところからキャリアをスタートさせています。ソフトウェア開発はある種「バーチャルな世界」で、そこにいたことで次第に伝統的な産業を通じて「リアルな世界を見てみたい」と思うようになったのです。 そして縁あって1990年代の前半に私はインドで日系の貿易会社に転職し、伝統的な商材である鉄鉱石を扱うようになりました。これは三井物産に入社する前の話です。
吉田:インドのソフトウェア開発会社から、日系の貿易会社への転職は大きな変化ですね。
アシュラフ:おっしゃるとおりですが、新しい業界、新しい言語、何よりも新しい企業文化といった違いを楽しむことができました。もともと異文化には関心があり、日本に関しても新渡戸稲造の『武士道』などを読んでいました。これは120年近く前の本なのですが、そこで語られていた日本の精神を、私は仕事に対して真摯に向き合う日本企業の中に当時見出すことができました。この精神は今でも日本企業の中に生きているものと感じています。
1990年代に、日本人が『武士道』の精神を持って鉄鋼の世界でも、ソフトウェア開発の世界でも、様々な場所で最先端を駆け抜けていく様は、私の目には輝いて映りました。
吉田:そこから今度は三井物産へと転職するのですね。
アシュラフ:勤めていた貿易会社が倒産してしまったのです。ですが、インドで日系企業に身を置き鉄鉱石に携わっていたおかげもあって、幸い多くの日系企業に声を掛けてもらいました。その内の一社が三井物産でした。一番しっかりと議論ができる相手という印象だったので、最終的にそこを選びました。
吉田:一回目の転職では異なる文化、異なる業界に飛び込んでいったアシュラフさんですが、二回目の転職では再び日本企業を選ばれたのですね。
アシュラフ:それまで新日鐵(現・日本製鉄)や日本鋼管(現・JFE)と仕事をしていて、「日本人は状況を正確に捉え、深く物事を考える人たちである」と感じていました。そのような洞察力の高い日本人たちともう少し一緒に仕事をしたいと思ったのです。