おもてなしの心は球場の外にもあふれている。交流会では連が阿波踊りを披露し選手と一緒に踊り、寄付によって四国八十九番目の寺として道の駅に設置された「野球寺」では、女性団体のメンバーが、お遍路客にそうするように、市外からの選手を“お接待” する。「せっかく阿南まで来てくれるのに、来てよかったと思ってもらわなければ」と那賀川女性協議会会長の川田八重子は微笑む。
せっかく阿南まで──。その思いは、地元の企業も抱いている。18年11月、一般社団法人国際野球観光交流協会が発足した。メンバーは阿南信用金庫など地元企業。同じ志をもつ企業間にはすでに、新しいつながりが生まれている。「野球がなければ、こうした動きはなかったでしょう。今後は、新しい産業の創造までこぎ着けたいです」と協会理事で阿南信用金庫勤務の篠原浩之は期待を込める。
阿南市の岩浅嘉仁市長。田上の構想をサポートし、野球のまちを盛り上げる。
市長の岩浅は「この動きはほかの自治体には真似できない」と言う。「阿南にはこの人がおるから、できているんです」と田上の名を挙げる。
子どものころから大の野球好きで、ただ、体が弱かった。親が「この子は長く生きられない」と言うのを聞いて育ち、いつも体育の授業は見学。地元の高校を卒業後に市の職員になった。
福祉の仕事に取り組む傍ら、早朝野球にかかわり全日本の事務局に参画するなど、長く草野球の運営にかかわってきた。活動を通じて知り合った民間企業の人物からは、ボールを買うなと教わった。「メーカーにスポンサーになってもらえないか交渉する。これは役所にはない発想でした」。その経験と情熱が生きた。
定年退職後も多忙な田上は「野球は私の人生そのもの」という。「野球がなければ『あんな体やからあんなもんや』と言われ続け、一職員で終わっていたでしょう。それが、自己主張できる、格好の題材が巡ってきた。故郷への恩返しもできる。この仕事は、天職です」。
阿南が名実ともに野球のまちになったのは、深く根ざした野球愛があり、いまも、熱心な人がいるからだ。
試合終了後の一枚。野球をきっかけに、新しいつながりや事業が生まれている。
※この度、Forbes JAPANは初めてとなるスポーツビジネスアワードを開催。業界の第一線で活躍するアドバイザーの協力を得て、スポーツの新たな可能性を引き出したベスト・スポーツビジネスの取り組みを5つのカテゴリーごとに選んだ。その栄冠に輝いた5組にインタビューした記事を2019年10月26日から順次公開する。
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田上重之◎1952年徳島県阿南市生まれ。地元の高校を卒業後、市役所に入り37年間、福祉関連の仕事を歴任。38年目から野球のまち推進事業を担当。定年退職後、市参与に。