1882年に開場したエクスポジション・パークは、メジャー・リーグに対抗して、第三のリーグが誕生しては消滅した混乱期に短命球団が入れ替わり立ち代わり使用したことのある球場だ。1903年に開催された記念すべき第1回目のワールド・シリーズの舞台となった球場の一つだ。この球場のあった場所は、もともと島だった。
現在はPNCパークの駐車場として使われているのだが、ホームプレートがあった場所には、パイレーツのチームカラーである黄色いペンキでホームプレートの形が描かれている。
1894年8月23日、エクスポジション・パークで行われたパイレーツ対ジャイアンツ戦を見る観衆。by gettyimages
エクスポジション・パークは、アレゲニー川沿いの低地に位置していたため幾度となく洪水被害に見舞われた。1883年春の洪水で川が氾濫した際には、高台にもう一つ別の球場を建設して公式戦を消化した。1900年と1901年には、強風によって球場の屋根が吹き飛ばされた。1902年に再び洪水の被害に見舞われた際には、外野は1フィートの水浸しの状態だったため、水溜りにボールが落下した場合にはグランド・ルールでシングル・ヒットにしたと言う。
パイレーツは、大規模な自然災害の多いこの川辺に見切りをつけ、1909年から60年以上、対岸の高台にあるフォーブス・フィールドを本拠地とした。時期を同じくしてピッツバーグを本拠地としたニグロ・リーグのピッツバーグ・クロフォーズやホームステッド・グレイズもこの川辺でプレイすることはなかった。
しかし、パイレーツは、このピッツバーグの球史において重要な場所を見捨てることはなかった。1970年、パイレーツは、エクスポジション・パークの跡地横にオープンしたスリー・リバー・スタジアムを本拠地とする。2000年にこのフットボール兼用球場が閉場すると、翌年、同球場の西側にNFLのスティーラーズの本拠地ハインツ・フィールドがオープンした。
その後、東側に完成したベースボール専用球場のPNCパークの内野席からは、アレゲニー川と、そこに架かるロベルト・クレメンテ橋、そしてダウンタウンの高層ビル群が三位一体となった光景を見渡すことができ、メジャー・リーグ球場屈指の美しさと言われている。
そう、ピッツバーグは、アレゲニー川、モノンガヒラ川、オハイオ川というアメリカを代表する3つの川が交わっており、対岸を繋ぐ橋は街中に400以上も架かっている川と橋の街なのだ。この街の人々と、川辺を切り離すことはできないのだ。初めてワールド・シリーズが開催されてから100年以上経った今でも、この街の人々は、当時と同じ川辺で、地元球団に大きな声援を送っているのだ。
連載:「全米球場跡地巡り」に感じるロマン
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