殻に閉じこもった女が、「夢の共有」から一歩踏み出すまで

映画『心と体と』主演のアレクサンドラ・ベルボーイ(左、 Getty Images)

ついこのあいだまで、暑さで寝苦しい夜が続いていたのが、嘘のような涼しさである。毎夜ぐっすり眠って疲労回復に努めたいものだが、最近は入眠時にリラックスし、見たい夢を見る訓練をサポートしてくれるアプリまであるという。

あなたは最近、夢を見ただろうか。フロイトによれば夢は、無意識が何らかの形で現れたものだ。無意識の中には当人にとって、「意識したくないこと」「忘れていたいこと」が存在している。覚醒時はそれらは抑圧されているが、睡眠状態では無意識の蓋がゆるみ、意識に侵入しやすくなる。

だが、それが剥き出しで意識に上がってくることは滅多にない。刺激が強過ぎて睡眠が妨げられるからだ。無意識と意識の境目で検閲作業が行われ、加工を施されたより刺激の少ない変形したかたちで現れるのだ。

繰り返し同じような夢を見るという現象は、本人が無意識に押し込めた欲望の大きさと捉えることもできるかもしれない。

今回取り上げるのは、食肉工場で働く男女の、夢を巡る不思議な交流を描いたハンガリー映画『心と体と』(イルディゴー・エニェディ監督、2017)。第67回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で金熊賞を受賞した。

冒頭、白い冬景色の中、雄と雌の鹿がひっそりと寄り添う幻想的なシーンから、画面は屠殺された牛が肉の塊となって吊り下げられていく食肉工場の、血に塗れた生々しい場面に転換する。

鹿のシーンは実は夢の中の場面であり、食肉工場は現実だ。自由/不自由、慈しみ/暴力、心情/肉体と言った、ほとんど相反する印象を与えるこの二つの場面は、作品の重要な通奏イメージである。

ブダペスト郊外の食肉工場に、品質検査官の産休代理として派遣されてきた若い女性マーリア(アレクサンドラ・ベルボーイ)。仕事ぶりは杓子定規と言えるほどクソ真面目で周囲と馴染むことなく、休み時間はいつも孤立している彼女を、財務部長の中年男エンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)は気にかけるが、マーリアの態度は堅くうまく噛み合わない。

それはマーリアが相手を見下しているのではなく、コミュニケーションが苦手なための対人不安や、過度の潔癖症が根底にあるのではないか、あるいはドラマの途中で判明するある特殊能力を持ったゆえの孤立からか、などと思わせるが、詳細は語られない。

そんな中、牛用の交尾薬が工場内から盗まれるという事件が起こる。三秒で発情するというそれが人間に悪用されたら大変なことに‥‥というわけで警察の捜査が入り、すべての職員が精神分析医の個別検診を受けることになる。

ここで登場する、無駄にセクシーな服装と挑発的な態度でエンドレを苛立たせる女性の精神分析医にちょっと笑ってしまうが、「性」が大きなテーマとなっているこのドラマにおいて、型に嵌った通俗的な人物として描かれているのは、彼女の他に二人いる。

一人は後から屠殺係として入社した、ガタイも頭の中身もマッチョな若い男。休み時間にいつも女性職員たちに冗談を言い戯れようとする彼には、「歩く性欲」とあだ名がつけられている。もう一人はエンドレの同僚で、口では亭主関白なことを言いつつ実際は妻の尻に敷かれ、彼女の性行動に悩んでいる恐妻家だ。
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文=大野 左紀子

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