ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信

ロイ・コーン(左)と若き日のドナルド・トランプ(右)(Photo by Sonia Moskowitz/Getty Images)

若き日のトランプ大統領に、「和解はするな、謝ってもいけない、攻撃せよ!」と教えたメンターがいた。ロイ・コーンという伝説の弁護士だ。

死去して25年も経つが、このたび、アメリカ連邦政府情報公開法により彼に対する膨大なFBIの捜査ファイルが開示され、あらためて悪名高きコーンの名前が、アメリカのメディアで取り沙汰されるようになった。

この9月には、コーンの伝記ともいえる映画「Where’s My Roy Cohn?」も封切られ、再びこの剛腕弁護士の名前に注目が集まっている。

赤狩りで全国のセレブ検事に

コーンは、1950年代、弁護士資格を取得して、検察官になった。この時代のアメリカは、共産党員を国家反逆罪で断罪する「上院政府活動委員会」、いわゆる「赤狩り」が旋風を巻き起こしており、委員長となったジョセフ・マッカーシー上院議員(当時のFBI長官、エドガー・フーヴァーによって任命された)によって、言論や表現の自由が制圧を受け、暗黒の時代を迎えていた。

ちょうどそのとき、コーンは共産党員によるスパイ容疑を立件し、有罪を獲得。そして注目を浴びると、委員長のマッカーシー上院議員の主任顧問検察官に選ばれ、全国区のセレブ検事となった。ちなみにこのとき、ケネディ大統領の弟のロバート・ケネディも主任顧問の候補だったが、彼を抑えてコーンが就任している。トランプのメンターのそのまたメンターは、マッカーシー上院議員だったのだ。

若き日のコーン検事のインタビューはユーチューブで見られるが、上等なスーツを着こなし、ボリュームのある髪を精緻にセットし、喋りもなめらかで、無駄がなく、冷静かつ仕事への情熱を説いて、まるで政治家の演説を聞いているようだ。

若干26歳のコーンは、マッカーシズムとまで言われた赤狩りの嵐に乗り名声を得たが、やがて調子に乗った“親分”がさらなる権力を得ようとし、それが陸軍の大反撃にあって敗北すると、弁護士へと転じる。

のちのアメリカ議会は、赤狩りはマッカーシー上院議員のでっち上げによる証拠と恐怖政治の連鎖で意図的に起こされた不当な魔女狩りであるということとして、譴責決議案を発議する。事実上、失脚したマッカーシーは、ほどなくアル中の治療に失敗して、肝炎で死ぬ。

一方、コーンは、弁護士としてさらに活躍の場を広げる。クライアントには大物実業家や有名人が多く、ニューヨークヤンキースの長年のオーナーだったジョージ・スタインブレナーやマフィアのビックボスであるアンソニー・サレルノやジョン・ゴッティ、超有名テレビ司会者のエド・サリバンなど多岐に及んだ。

反共産主義者としての立場から、共和党の大統領とも距離が近かったようで、ニクソン大統領やレーガン大統領との親交もあった。

文=長野慶太

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