データを巡る不穏なIT企業の動き エシカルAIの議論の必要性

Sean Gallup/Getty Images


もちろん、各企業が独自に、また合法的に集めたデータは数多く存在する。しかしながら上述したようなブラックな労働環境、もしくは「なぜそこまでして」と頭を捻りたくなるような方法で収集されたデータの存在もまた無視できなくなりつつある。

「大量のデータが必要というテーゼ」は、当然の帰結として「大量のデータ処理が必要」というテーゼも生み出す。ここにも問題がある。

将来的に、さらに多くの企業(個人も含まれる)がAIを使うことになるとして、大量のデータを処理するために膨大な電力が必要という事実は、多くの専門家が指摘するところだ。各企業による省電化のための動きはなくはないが、世界で爆発的に煽られているAI需要に追いつけるかどうか甚だ疑わしい。

AIにも「エシカル」の流れが?

今後、もしかすると「サスティナブルなAI」「エシカルに生み出されたAI」という議論が遅かれ早かれ浮上するかもしれない。どこかの誰か、もしくは地球環境の犠牲の上に成り立っているプロダクトは、現代社会では消費者に受け入れられにくくなっている。食料品、衣類、化粧品、ジュエリーなどの業界では「エシカル消費」が注目を浴びるが、AIにも同じ視線が注がれる日はそう遠くないのではないだろうか。

ただAIビジネスに関しては、まだデータの出どころや研究過程の裏側まで詳細に報じられることが多くない。データの出どころがはっきりと分かるような、透明性を担保できる世の中の仕組みづくりも必要になってくるかもしれない。

さらに言えば、エシカルな過程を経てこそ、世の中の著名な企業家や研究者がしきり説くような「エシカルな判断ができるAI」は実現するのではないだろうか。そもそも、非道徳的な方法で集められたデータを使って、道徳的なAIをつくるというのは矛盾した話だ。昨今のAI絡みの話題を見る限り、そのような確信はますます強くなるばかりだ。

連載:AI通信「こんなとこにも人工知能」
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文=河 鐘基

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