「漆」との初めての邂逅は、「箸」だった。 東京・中央区佃に「漆芸中島」という店がある。徳川吉宗の時代に創業したというから、かれこれ300年ほど続いている老舗だ。江戸漆塗りの技を受け継ぐ11代目の店主・中島泰英さんはちゃきちゃきの江戸っ子のおじいちゃんで、僕は偶然店の前を通りかかり、話しかけて仲良くなった。
中島さんは店頭で箸を売っているのだが、その売り方が面白い。滑り止めのついた安い箸と、ご自分が制作した江戸八角箸の2膳を置き、お客さんに1cm角のこんにゃくをつまませるのである。安い箸ではつまめないが、江戸八角箸だと気持ちよいくらいぴたりとつまめる。価格は、桜、本紫壇、縞黒檀、紅本紫檀、青黒檀と素材によって2000円台から2万円台後半まであるのだが、見ているうちに「せっかくだし……」とそれなりに高い一膳が欲しくなるから不思議である。
この店の箸が素晴らしいのはそれだけではない。色が剥げたり、欠けたり曲がってしまったら、無料でメンテナンスをしてくれるのです! 10年、20年と(修理しながら)長く使えるのなら、2万円のマイ箸は逆に安いのではないだろうか。それに、日々手にする・口にするものが最上級の品だと、それだけで幸せな気持ちになれると思う。僕は何人もの友人・知人にこの店を紹介したが、みな喜んで購入していた。プレゼントにも最適なので、ご興味ある方はいますぐどうぞ。
箸の次は、金沢の「能作」という店で名入りのカゴとお盆を特注。少しずつ“漆器のある生活”に近づいてきたわけだが、2013年のある漆椀との出合いは大きかった。黒の漆椀に赤い漆の丸がふたつ施された、つまりくまモンの顔をモチーフにつくられた「椀だふるくまモン」という作品だ。監修は、漆芸家であり重要無形文化財保持者(人間国宝)の室瀬和美さんで、制作は室瀬さんの息子である智弥さんが主宰する目白漆芸文化財研究所が行っている(現在も熊本県伝統工芸館で販売中)。
15年9月、僕は知人を介して室瀬さんに出演交渉し、企画・監修をしていたBS朝日「アーツ&クラフツ商会」(14年11月〜17年3月放送)にご登場いただいた。前後してパーソナリティを務めるラジオにも出演してもらったが、室瀬さんのお話はとても興味深いものだった。
ご飯は漆椀のほうがおいしい
室瀬さんによれば、本来ご飯を食べる器は「飯茶椀」──部首が「木」の椀、いわゆる塗り物だった。夏目漱石の『吾輩は猫である』にも「『今夜は是でやめやう』と飯茶椀を出す」という一節がある。しかし、国産の磁器が庶民の暮らしに浸透するようになって、「飯茶碗」──部首が「石」の碗になってしまったのだそうだ。
室瀬さんは「瀬戸物の戦略がうまかった」と苦笑いをされていたが、一方で「漆器は熱伝導率が低い上、漆が適度に水分を吸うので、最後の一粒までご飯を温かくおいしく食べられる」「傷つきやすくて扱いにくいと誤解をしている人が多いが、漆は堅牢度が高くて丈夫だし、水かお湯でほとんどの汚れを落とすことができる」と主張されていた。