10月14日でフィナーレを迎える愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」。脅迫などを受け、8月1日の開幕からわずか3日間で「表現の不自由展・その後」が一時中止され、閉幕1週間前にして、ようやく再開されたものの、「情の時代」というコンセプトを掲げたように、皮肉にも分断や対立が際立つこととなった。
あいちトリエンナーレのあり方検証委員会によると、「ソーシャルメディア型のソフト・テロ」という位置付けがされたが、その抗議の内容は、展示を鑑賞していない人にも関わらず特定の作品のイメージが先行して、「芸術の名を借りた政治(あるいは反日)プロパガンダ」や「公金、公的施設の使い方としておかしい」といった反応が多かったという。そしてSNS上では、誹謗中傷の言葉を並べる人自身が、「表現の自由である」と展示名を逆手にとる論法が見られる。
確かに、考えや政治思想によっては、心証が悪くなる人がいる可能性もあり、実行委員会でも事前に抗議やトラブルは想定されていた。だが、実際に現場へ行ってみると、国際現代美術展の会場は広く、「表現の不自由展・その後」が美術展の一部であり、あいちトリエンナーレ全体に「NO」を突きつけるには議論が十分でない。
私は名古屋市内の愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、四間道(しけみち)・円頓寺(えんどうじ)の3会場を巡った。いくつかの作品を通じて、あいちトリエンナーレが示した時代性について考察したい。
まず、メインの会場である愛知芸術文化センターの10階展示室に入ると、すぐ迎えてくれるのがエキソニモの展示作品。1996年に結成された千房けん輔と赤岩やえによるアート・ユニットで、インターネット黎明期よりネットを題材として作品を展開し、ニューヨークを拠点に活動している。スマートフォンに写った顔がキスするように重なるこの作品《The Kiss》の解説では、私たちの体の一部になったかのように、手にスマホを握るのが当たり前になり、大量の情報によって、感情が揺り動かされ、新しい形の「出会い/すれ違い/分断」をも生み出していると触れられている。まさに、トリエンナーレのコンセプトである「情の時代」を象徴するような作品だ。
エキソニモ《The Kiss》
立ち止まって作品を眺める人や、作品をさらにスマホで撮影する人もいたが、多くの人はこの作品の前を行き来して、気にも留めずに通り過ぎていた。そんな姿を目にして、この情報社会を表しているようだと感じた。