Forbes JAPAN Web編集部 前編集長


「トラディショナルなPRとしてキャリアアップしていったとしても、30歳のときにはまだPRコーディネーター。どうやったらステップアップできるのか。自分で新たな分野を定義して突き進むしかない」

セオリーにとらわれず、乗り越えるべき壁を自分で決めたうえで自らを奮い立たせ、確実に突破していく。稲木ジョージ、32年の人生に通底する成長術だ。

そのころ、一流のメゾンから仕事の依頼があった。「展示会に、SNSで影響力のある人たちを呼んでほしい」。ジョージにとってこの案件は発見だった。「メディアを呼ぶ代わりに、人を呼ぶことで対価をもらえるのか」と。PRパーソンの新しい仕事があったのだ。自分の決めた道が正しいと確信した瞬間だった。

イメージにふさわしい人物をリストアップしてアサインし、投稿の反響やリーチ数など数字的な結果を詳細にレポーティングした。

以降、ジョージはファッションブロガーやインスタグラマーのキャスティングにとどまらず、名だたるラグジュアリーブランドのイベントやショー、展示会の企画からクリエイティブディレクション、デジタルを中心としたPR戦略まで幅広く手がけることになる。

ジョージのキャスティングルールは明確だ。

「本人の性格や投稿スタイルを把握したうえでブランドとマッチングさせる。フォロワー数が多いから、というだけの理由では起用しない。商品をプレゼントして無償で『SNSで紹介してください』はありえない。大事なのは、企画力じゃない?」

「道路の真ん中歩くよ!」心友・渡辺直美との関係

彼は頻繁にパリ、ミラノ、NYコレクションに足を運んだ。メゾンのフィロソフィーや方向性を全身で感じ取る。それだけではない。彼が始めたのは、日本の著名人をコレクションに連れていき、ラグジュアリーブランドとの接点を増やしたことだ。ジョージが現地に連れて行った人々こそ、後に「インフルエンサー」と呼ばれるようになる。

渡辺直美、鈴木えみ、小嶋陽菜らのインスタグラムの投稿にはたまにジョージが登場する。

デジタルPRとして、影響力がある人々、発信力のある人に影響を与えていく。この仕事を確立できたのは、起用する側・される側という立場を超えて「信頼」を培った点にあるだろう。

ジョージを「心友」と称するのが渡辺直美だ。「未来へのビジョンは一緒。家族でもあり、ビジネスパートナーでもあり、特別な存在」と明かす。インフルエンサーを特集すると決まり、実は直美に「ジョージと一緒に出てほしい」と打診した。直美の答えはこうだった。「私より、ジョージを大きく扱ってほしい」

「大好きです!いつかビヨンセ対決しましょう!」。そんな手紙が添えられたジョージからの誕生日プレゼントを受け取ったのが、ともに24歳ごろのこと。ほどなくして、二人はNYへ行くことになった。ジョージはファッションを学び、直美はワールドツアーの準備。挑戦者同士、仲が深まった。

16年、ジョージは直美をミラノコレクションに連れて行った。「場違いじゃないのかな」震える直美を励まし、パパラッチに撮らせるために、「直美、道路の真ん中歩くよ!」などと立ち居振る舞いを教えた。これを機に直美はファッションアイコンとしても認知され、現在の唯一無二の活躍に繋がっている。


インスタグラムより

起用する側・される側という立場を超えて懐に飛び込む人懐っこさがジョージにはある。彼女たちの活躍の場を拡げたい、ファッションの素晴らしさをより多くの人に伝えたい。著名人やクライアント企業への配慮か、ジョージは決して多くを語ることはないが、これはまさしく「デジタルPR」の範疇を超えたジョージの功績の一つである。

実は、ジョージの行動力の原点は、その生い立ちにある。

文=林 亜季 写真=アーロン・コトフスキー

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