第153回芥川賞を受賞した『火花』、2作目の『劇場』に続く新作となる『人間』は、昨年9月から9カ月間、毎日新聞夕刊で連載したものをまとめた著者初の長編小説だ。
主人公は漫画家になる夢に破れた38歳の男。青春時代を共に過ごした仲間からの連絡を受けるところから物語は展開し、「何者にもなれなかった自分」が苦い過去と対峙していく様が描かれている。
機内で携帯で入力したことも
刊行にあたっての発表会見が都内で行われた。
「準備も含めれば1年くらい、中断なく書いていたものが、ようやく本になったことが非常にうれしい」という著者だが、専業作家ではない又吉にとって、新聞連載はとりわけ厳しかったと想像できる。本人によれば、芸人の仕事が締め切り直前まで終わらず、路上に座りこんで仕上げたり、飛行場で8割までしか書けず、搭乗してから離陸するまでの時間で残り2割を携帯で入力したこともあったという。
この連載という執筆形態は作品にどういう影響を与えたのか。
「すべてを最初に書き上げるのでなく、連載ならではのライブ感を感じたかった。前日の自分が書いたことを引き受けて、『自分でもそこからどうなるかわからない』状態、もしかしたらこの先ないかもなあ、と思いながら書き進んで行く点が、前2作とは大きく違いましたね。でもその流れのおかげで物語が動いたところもある。なので、単行本化にあたって細かな修正はありましたが、連載中に生まれたリズムは残すようにしました」
東京・神保町、三省堂神田本店の店頭。書店員たちは、「僕達は人間をやるのが下手だ」と背中にプリントされた『人間』刊行記念Tシャツを着て接客をしていた。
青春が終わった後の人たちの人生
20代の若者達の青春時代を描いた処女作、『火花』。この作品中の「生きている限りバッドエンドはない、僕達はまだ途中だ」というセリフの意味を、ずっと考えていたという。
「バッドエンドはない、すなわち、青春が終わった後の人たちの人生はどのように続いているのか、にフォーカスしたかったんです。人生には劇的な瞬間とか出来事がおさめられていることも多いが、実はその後の時間の方が長いのかもしれない。そこを書いてみたいと思った。今回の作品では、38歳の主人公が青春をどう振り返り、青春についてどう考えているのかを書いています。そういう意味で、1作目、2作目とつながっている作品です」
20代前半の若者の生き様を描く処女作と、38歳の主人公を描く今回の作品。どちらの作中でも、登場人物たちが現実の厳しさを感じながら夢に向かってあがく様子が描かれている。筆者は20代だが、作中の主人公と同い年の著者に、20代と38歳、両年代における「夢」に対する感覚はどのように違うかを聞いてみた。
「そうですね、夢の捉え方とか、かつての夢が30代になってどう変化していくのかは、書きながら考えていたことです。自分は何者かになろうとしていたが、なれなかった。だがそのなれなかった何者とは何者なのか。そういうことを今回の小説では書いています」
やりたかったことや夢そのもの、それは変わっていくし、変わっていってよい、と著者は言う。「永遠に実現不可能の夢もあること」をその後の人生で悟り、さて、そこからどうして行くかを考えていく。つまり叶わなかったことに端を発して、また新たな目標や希望をもつ、「そういうことに慣れてきて、特別なことじゃないと感じるようになっていくのが、20代とは大きく違うのではないでしょうか」。
「叶わなかった夢」をあきらめるというより、そこをスタート地点として夢を「更新し続ける」人物たちに出会えそうな今回の作品。夢は変わっていく、変わってもいいのだ、というメッセージを新鮮に感じる読者は、年代を問わず少なくないかもしれない。