なぜ、カズオ・イシグロはビートルズを語らないのか?

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武藤浩史氏は著書『ビートルズは音楽を超える』で、当時のジョンについて、冷戦下で苦しむ人びとを思いやりながらも、それを投げ出してドラッグに溺れた自己矛盾を「良心と自堕落ぶりの共在」であったとし、それはそのまま「60年代先進国文化の自己分裂ぶりの縮図と言うことができる」と記している。(注5)

人々を惹きつけ、憧れられる人物であっても、その世相に反抗すると同時に、不健全な時代の副産物に安易に飲まれてしまった。しなやかさと脆弱さが内在する不安定な精神、そこから生まれ出る音楽がまた、魅力のひとつになった。特に若者に対しては。

フレッチャーも、かつてカリスマであったと同時に、その思想によって村の若者たちを危険に晒したという。彼は、犯した罪を思い出そうとしながら、かつての栄光と居場所を求める。「私の周りじゅう、笑顔の、憧れと崇拝の念をみなぎらせた顔が輪になっていたはずなんだ。(略)でも私はどこへ行ったらいいかわからないんだ」と言う。

そんなフレッチャーを「ジョン・レノンが生きていたとしたら」と仮定すると、公言せずとも、イシグロなりのメッセージが伝わってくる。

それは、「大いなる影響力を持つ人物が、必ずしも正しく完璧なわけではない」ということ。どんなにいい音楽をつくり、時代をリードし、崇められた者であっても、つまりはただの人間であるということ。

彼らは神などではなく、私たちと同じ、善悪ないまぜに生きる複雑な存在だ。だからこそ、悪に飲まれても、引き返し、やり直すことができる。間違ったとしても、反省し、赦しあうことができる。それが、音楽という芸術を楽しむことができる「自由な人間」だから。

フレッチャーは、旅する理由を「かつて引き起こしたかもしれない害を帳消しにしようとしているんだ」という。

ジョン・レノンが銃弾に倒れたのは1980年。もし、まだ生きていたら。変わらず圧倒的なカリスマだったかもしれないが、フレッチャーのように、何かの罪を贖うような旅路を歩んでいたかもしれない。ただひとりの自由な人間として。 【参考】
柴田元幸訳『日の暮れた村』,「紙の空から」, 晶文社, 2006.
注1. 映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』, 2015
注2. Krider, Dylan Otto. The Kenyon Review 20, 1998.
注3. 『coyote』26, スイッチ・パブリッシング, 2008, 3.
注4.「カズオ・イシグロ 英国を代表する作家が語る『私とニッポン』」,『クーリエ・ジャポン』, 2006.11.
注5. 武藤浩史『ビートルズは音楽を超える』平凡社, 2013.

 

文=川口 あい

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