人類がとことん「幸せ」を追求し続けた先に待ち受ける、意外な未来とは?『サピエンス全史』の訳者 柴田裕之に聴く(対談第3回)

柴田裕之


武田:例えば、超人になるために、人間に搭載したAIに動物の知覚を生物工学で入れ、認知革命2.0を起こし、肉体を機械にして非死・不死にします。それから、意識も広大なネットワークにアクセスできるようにします。その結果、テクノ人間至上主義というのが起こり得るだろうけれど、これは論理破綻を起こすというのが、ハラリさんの予想です。

柴田:そうなったときにそれが人間の望むものなのか、それが人間なのか、そうまでしてできあがったものが、本当に最高のものなのかどうかはわからないですよね。人類史の一つの流れの行き着くところを提示しています。

武田:神は人間の創造の産物と言い切ったことで、人間至上主義が生まれました。そこから次の革命の時には、人工知能にその座を譲って、自分たちが下りていくというわけですよね。

柴田:人間が主役にとどまる根拠というのは、果たして最初からあったのかどうかわからないですし、引きずり下ろされる状況を自ら作りつつあるのかもしれないという警鐘かもしれません。

「愛」が人間の未来を救うのか?

ハリウッドの多くのSF映画のクライマックス・シーンでは、人間がエイリアンの侵略宇宙船団や、反乱ロボットの大群や、人間を一掃しようとする全知のスーパーコンピューターに直面する。人類の前途は絶望的に見える。だが人類はこの苦境に屈することなく、最後の最後に、何かエイリアンやロボットやスーパーコンピューターには思いもよらず、理解もできないもののおかげで勝利する。その何かとは、愛だ。(中略)データ至上主義は、そのような筋書きは完全に馬鹿げていると考え、ハリウッドの脚本家たちに忠告する。「まさか。考えつくことと言えばそれだけですか? 愛? それもプラトニックな広大無辺の愛のようなものですらなく、一対の哺乳動物が肉体的に惹かれ合うことだけとは。全知のスーパーコンピューターや銀河系全体の征服をたくらむエイリアンが、急激なホルモン分泌に物も言えないほど驚いたりするなんて、あなたは本当に思っているのですか?」(ホモ・デウス・下・P235-236)

柴田:こう言われたら、人間の優越性というものがわからなくなってしまいますよね。

武田:まさにディストピア。しかし、訳者あとがきで、柴田先生はこちらの一文を添えてらっしゃいますね。

サピエンスの未来に希望はないのか? 断じて違う。著者は楽観はしていないが、絶望もしていない。絶望していたら、この作品を書いただろうか?(ホモ・デウス・下・P253〈訳者あとがき〉)

柴田:『ホモ・デウス』では最後にどんでん返しを食った感じです。ここまでずっと未来のシナリオを提示していながら、果たしてこうなるのか、意識は本当にこうなるのかという問いかけで終わります。そこに、ハラリさんがこの2つの書物を書いた狙いを垣間見た気がしました。

武田:これはハラリさんと離れて、先生がどう思われているかお聞きしたいのですが、結びでハラリさんは、「我々は単なるアルゴリズムではないかもしれない」と語っています。

柴田:アルゴリズムならAIに勝ち目はないですから、アルゴリズムではない可能性を示唆してます。
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文=武田 隆

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