人類がとことん「幸せ」を追求し続けた先に待ち受ける、意外な未来とは?『サピエンス全史』の訳者 柴田裕之に聴く(対談第3回)

柴田裕之


不老不死さえ不満につながるかもしれない。科学があらゆる疾病の治療法や効果的なアンチエイジング療法、再生医療を編み出し、人々がいつまでも若くいられるとしたらどうなるか? おそらく即座に、かつてないほどの怒りと不安が蔓延するだろう。新たな奇跡の治療法を受ける余裕のない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れるだろう。歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくとも死だけは平等だ、金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えには、とうてい納得できないだろう(サピエンス全史・下・P225)

柴田:全員均等に不老不死が同時に得られるわけではないですから、そこでも階級格差が生まれ、それが引き起こす不満はこれまでの格差に対する不満どころではないと。

武田:いままでは「お金持ちだって死ぬんだから」と考えていたのに……。

柴田:“不死”とは別に、“非死”を心配する指摘も興味深いです。自分が永遠に生きる可能性があると、人は何を考えるのか。

だが、新たな医療を受ける余裕のあるごくわずかな人々も、幸せに酔いしれてはいられない。彼らには、悩みの種がたっぷり生じるだろう。新しい治療法は、生命と若さを保つことを可能にするとはいえ、死体を生き返らせることはできない。愛する者たちと自分は永遠に生きられるけれど、それはトラックに轢かれたり、テロリストの爆弾で木っ端微塵にされたりしない場合に限るのだとしたら、これほど恐ろしいことはないではないか! 非死でいる可能性のある人たちはおそらく、ごくわずかな危険を冒すことさえも避けるようになり、配偶者や子供や親しい友人を失う苦悩は、耐え難いものになるだろう(サピエンス全史・下・P225)

柴田:普通なら、不老不死なら万々歳という思考になるのですが、内面は不安だらけの一生に……。人間は体を破壊されたら死んでしまうので、いろいろなものにおびえなくてはならない。そうなると安全圏から出ず、危ないものを排除して生きるという心理に追い込まれる人が当然出てきますよね。

武田:ハラリさんの想像力には驚かされます。パートナーや子供が命を落としてしまった時の悲しみも途方もない深さだと思います。

柴田:取り返しがつかないことへの悲しみやその重みは、いままでの比ではないでしょうね。

武田:そうなると人は間違いなく、非死ではなく不死を目指すでしょう。肉体をサイボーグ化し、脳をハードウエアにコピーしていく。これまた、歴史の不可逆な動きを予想していきます。

柴田:テクノロジーがそれに付随する形で進歩しているので、不死も夢ではないですね。
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文=武田 隆

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