今こそ対馬へ。「国境の島」でのボーダーツーリズムが面白い

神話の時代を感じさせる和多都美神社。本殿正面の鳥居のうち2つは海中にある

今夏、訪日韓国人激減が九州方面を中心に与えた「打撃」は、日本のインバウンドがかねてより抱えていたジレンマが、再び露見されたに過ぎないといえる。すなわち、訪日客数のトップ2カ国で、両国を合わせると全体の半分を占める中国と韓国が、どれだけ日本に観光客を送り込むかを、政治の取引に使おうとすることだ。

この両国は、これまで何度も政治的な事情で訪日観光客を減らしてきた。これは本来民間の意思とは別物だと思っていいが、日本のインバウンドの20年の歴史からみると、たびたび繰り返されてきた話と言っていいのである。

たとえば、2011年の東日本大震災後、訪日客の回復が最も遅かったのが韓国だった。台湾や香港、タイなどが、早くも2012年に震災前年の訪日客数の水準に戻ったのとは対照的だった。韓国では原発事故の不安をメディアが報じ続けた結果、震災前と同じ水準に戻ったのは2014年のことだ。

中国に関して言えばさらに顕著で、いったん2012年に回復したものの、同年秋の日本政府による「尖閣諸島国有化」に対する反発から2013年には再び減少している。いずれも、両国との政治関係が日本のインバウンド市場にいかに影響を与えるかを物語っている。

「対馬・釜山航路」盛衰の歴史

では、対馬を訪れる韓国人客はいつ頃から増えてきたのだろうか。対馬市がまとめた「韓国人入国者数推移」をみれば一目瞭然だ。

一挙に増えたのは2012年である(2011年4万6000人→2012年約15万人)。つまり、震災の翌年であるこの年、日本を訪れる韓国人客はそれほど増えていないのに、対馬だけは事情が異なったことがわかる。

ではなぜこの時期に増えたのか。それを理解するには、対馬・釜山間の国際航路の歴史を知る必要がある。

韓国系船会社である大亜高速が初めて釜山から対馬(比田勝港・厳原港)への定期運航を始めたのは1999年のことだ。この年約2000人の韓国人が対馬入りしている。以降、少しずつ増えたが、2011年までは概ね4~7万人で推移していた。
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文・写真=中村正人

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