国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル


展望台の近くにある豊砲台跡は、1934年(昭和9年)に竣工されたもので、当時装備された砲身18.5mの40cmキャノン砲は、戦艦長門の主砲と同じだった。戦前対馬が要塞として日本の前線基地であったことの名残である。

比田勝港から近い殿崎公園にある日本海海戦記念碑は、撃沈されたバルチック艦隊の乗組員が上陸した場所で、島民に助けられたことを記念する日露「平和と友好の碑」もある。この慰霊碑が最初に建てられたのは1912年で、100年後の2012年に再建されている。


日露戦争100年にあたる2005年に両国合同の慰霊祭が行われ、建立された日露「平和と友好の碑」

対馬藩の城下町だった厳原にある歴史スポットも、この島のユニークな歴史を知れば、面白さが倍増する。江戸幕府と朝鮮王朝、その両者の面子のために国書を双方に対して都合よく改ざんしなければならなかったという対馬藩の立場は、今日にも通じるところがあるといえるかもしれない。

島に若い世代を呼び込む取り組みも

国境は一見「果て」や「縁」のように思えるかもしれないが、そこを通過点と考えれば見方も変わる。今回、福岡からではなく、釜山経由で対馬入りしたのも、それを実感するためだ。「対馬が砦ではなく、ゲートウエイであったときに栄えていた」という地元関係者の話もなるほどと思う。

過疎化の問題は対馬に限った話ではなく、全国に共通する難題だが、インバウンドは投資を呼び込み、地域の持続可能性に寄与するし、何より若年雇用を創出する。短期的な経済効果より、むしろ次世代を育てることこそ、地域がインバウンドを必要とする本質なのだ。

対馬に来て、島に若い世代を呼び込む取り組みを知った。2018年12月に厳原にオープンしたデジタルハリウッドSTUDIO対馬では、地元の社会人や若い世代を対象にしたWebデザイナー講座を始めている。

同講座を主催するコミュニティメディアの米田利己さんは、対馬市CATVの運営を通じて地元に密着した番組制作を行っており、島外の大学生のインターンも受け入れている。

さらに彼は、国内外のアーティストを対馬に呼び、滞在しながら作品制作に打ち込んでもらうアートインレジデンスと、その作品展示を島内のさまざまな場所で行う「対馬アートファンタジア」という芸術祭を行っている。日本の若いアーティストのみならず、韓国人アーティストも多数参加していて、小学校の廃校をアトリエ兼作品展示の場にするなど、ユニークなアートイベントだった。

このように対馬には思いがけない出会いやさまざまな顔があり、いくつもの発見がある。きっと収穫の多い旅になることだろう。

連載:ボーダーツーリストが見た「北東アジアのリアル」
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文・写真=中村正人

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