国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル


ところが、1990年代のバブル崩壊を経て、釜山との結びつきを再び構想する人々が現れた。

「その頃、釜山に行くと、街は変貌していた。高層ビルが並び、繁栄している光景をまのあたりにして、対馬の人たちは驚いた。船でわずか1時間の場所に、人口350万人の大都市圏が広がっていたこと。それが釜山航路開拓の強い後押しとなった」と前述の比田勝さんは話す。

「あをしお」の運航は2000年まで続いたが、乗客数に限りがあり、結局のところ、状況を変えていくのは、1999年の韓国系船会社の定期航路の開設からだった。「我々ができなかったことを韓国側がやってくれる。このチャンスを逃がす必要はない」と比田勝さんは思ったという。

このように戦後から今日に至る対馬・釜山航路の歴史にはいくつかの節目があった。そして、いままた、韓国人客激減という大きな試練の時を迎えている。

さらに長い歴史を遡ると、対馬は「国境の島」であるがゆえのジレンマ、朝鮮半島との関係がもたらす恩恵と葛藤に常に悩まされてきた。

対馬は、古くは3世紀に書かれた「魏志倭人伝」で、初めて歴史に登場する。日本と大陸との架け橋であったが、13世紀の元寇による襲撃、江戸時代に担った朝鮮との交易による対馬藩の隆盛、明治維新以降のロシアの南下による国防の拠点としての要塞化、日韓併合と敗戦に至る時代のうねりの中で、繁栄と衰退を繰り返してきた。


古代からの歴史が残る対馬。厳原の神社で子どもたちの相撲大会が行われていた

だからだろうか。今日の理不尽ともいえる韓国人客激減という事態にあっても、地元の関係者は「対馬は日韓関係がいいときは潤い、そうでないと沈む。そういう歴史なんですよ」と、すべては織り込み済みであるかのように話す。

対馬の注目観光スポット

こんな時節、対馬を訪ねてみるのは面白いのではないだろうか。韓国人客が少ないうちに、などと言うつもりはないけれど、現状を逆手にとって、いまこそ「国境の島」対馬ボーダーツーリズムを勧めたい。

ボーダーツーリズムとは、国境の町を訪ね、お隣の国の様子を眺めたり、ときには国境を渡って、両国の人々の暮らしや文化に触れたりする体験型の旅行をいう。そして、対馬には、日本では数少ない貴重なボーダーツーリズムを体感するスポットがある。

晴れた日には釜山市街が望める韓国展望台は、昼間もいいが、釜山の夜景が見える夜に行くのもいい。11月初旬には釜山で花火大会があり、対馬側からも見えるという。


風光明媚な対馬。烏帽子岳展望台からの眺め

文・写真=中村正人

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