最初の小さな犯行は、図書館の本に偶然挟まれていたファニー・ブライスという昔の喜劇女優の手紙がきっかけだった。それを盗んで売ったリーは、もっと金を得るために、自分が有名人の手紙を偽造することを思いつく。コレクターにとってはお宝であるそれで、商売ができるとわかったのだ。
何と言っても、リーは伝記作家である。有名女優達の言葉からその性格や癖、心理を読み抜き、その女優らしい言葉遣いでその女優が言いそうなこと、もし言ったら面白いであろうことを創作するのは、朝飯前だ。
古いタイプライターを何台か買い込み、紙はオーブンでうっすら焼き色をつけて年代感を出す。問題はサインだが、何度やってもそっくりにならないので、ついに水平にしたテレビ画面の上に紙を置き、透過光で写すという手を編み出すところに感心してしまう。
やっていることは詐欺だが、考えてみれば作家とはある意味、虚構という壮大な詐欺で人を楽しませる職業だ。ドキュメントを元にする伝記作家でも、その要素はあるだろう。手紙という非常にプライベートな文章において、さまざまな周辺情報を押さえながら、いかにもありそうなものをでっち上げるのは、熟練の書き手としてはかなり面白いに違いない。
映画『ある女流作家の罪と罰』より(Getty Images)
「口は悪くても考え方はまとも」なはずが…
しかしリーはなぜ、伝記作家としてのかつての成功を維持できなかったのか。それは、編集者マージョリーの非難の言葉からうかがわれる。自分から人前に出てアピールするのが苦手、酒飲みでおしゃれに興味がなく猫とは付き合えるが人間嫌い、頑固でズケズケものを言いプライドだけは滅法高い。
商売を考える出版人からすると、今時そういう作家は金にならないので使いたくない。つまりリーは、自分の好きなものを書いて普通に生活していけさえすれば良く、人からどう思われようと関係ないという、今時珍しい古典的な芸術家肌の人なのだ。
だから彼女は、時流に乗って薄い内容の本を書き散らして儲けている作家を、心底軽蔑する。口は悪くても考え方はまともだ。リーの不幸は、作家という本職ではなく、文書偽造という犯罪でその才能を使わざるを得なかったことだ。