無給医の存在を国が初めて認め、ニュースになっている。 それは我々のころから同じだった。医学部を卒業し医師国家試験に合格しても医者としては使いものにならない。私が医学部を卒業したころは、研修は「努力義務」になっていた。
しかし現代では義務化されている。私も研修医時代はほぼ無給で、当直や休日診療で生計を立てていた。
研修場所が大学病院だったこともあるが、月の休日が数日であったにもかかわらず給与はわずかだった記憶がある。
外科研修医時代に同僚が計算すると時給は300円台だった。ファストフード店のバイトより安いと思ったものだが、「将来の夢につながる勉強をさせてもらっている」との思いでその数年を過ごしたのだった。
当時は無給であろうと興味のある分野に研修に行くことは珍しいことではなかった。なにも労働基準法違反を肯定しているのではないが、まだ見ぬ新しいことへの期待感が大きかったのだ。
しかし、最近は条件が整っていたり、先のことがある程度わからなければどんな分野にも踏み込まない傾向にあるような気がする。海外に飛び出す若者が少なくなったのも同じ理由だろう。
しかし飛び込んだ後の成果が未知なのは当たり前だ。例えば旅行する前に、どんな刺激や出会いがあるかは絶対わからないし、わかっていては楽しくないだろう。
7月初旬、奈良で山行をしてきた。山伏の行だ。池に生えている蓮を25kmの山道を歩いて山上ヶ岳のお堂に届けるのだ。
行の成果は未知だが、毎年会社経営者も多く参加している。登山と違いマイペースは許されず、早朝というか深夜2時半起床、途中の休憩時間からペースもすべて決められている。履物は全員白の地下足袋だ。つらくても歩き続ける。この行は1200年続くとされるが、行が終われば参加者はみな一様に生まれ変わったように気力が出るという。
知り合いの禅僧の話では、規則が決まった時間を集団で過ごすことでそうなるという。長い年月をかけて開発された、精神に響く方法だ。こうすることで我と常識を崩し再構築する。根本的な思考方法を変えるのだ。
山行は2日間と短いが、私を含め同行者の思考を確実に変えてくれた。
上司がいる組織に身を置く場合には自分のペースで働けない。会社や上司、取引相手のペースで動く。労働条件が悪く、働いている時間も長いかもしれない。体調が悪くても我慢して出社しなければならないかもしれない。まさに他人ペースの修行だ。
条件が整わず不自由な環境に身を置くことで精神的な成長がある。思考方法が変わるとライフスタイル、ビジネススタイルも新しく変わるはずだ。主体性が大切にされる現代だが、「他人ペースの動き方」も精神にはよい影響を与える。あまりに理不尽な場合は別として、不自由な職場にも意味がある。頑張ってほしい。
さくらい・りゅうせい◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。元聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。著書に『病気にならない生き方 考え方』(PHP文庫)など。