これを見せつけてくれたのが、この夏の話題を独占した「吉本興業劇場」だ。一芸人の虚偽発言から始まった一社内問題の前に、参院選も日韓問題もすっかり霞んでしまったのだから恐れ入る。
芸能ネタらしく、多くのメディアからバラバラの情報が垂れ流されて、本質的な論点が拡散されてしまった。カオスと化した「劇」の象徴が社長記者会見だった。大方は、失敗会見だ、と酷評しているが、そうだろうか。
会社が事態を見極める前に、メディアから半ば強制されて開かれたものだ。会社自身が迷っている状況を、迷いながら話さざるを得なかった会見である。スッキリしないのは当然だった。そんな環境で、記録的長時間の「サンドバッグ」役を引き受けた社長の胆力にこそ、敬意を表する。
吉本劇場は企業にとっても含意が多い。
まずは、メディアという制御不能の怪物にどう対処していくか、である。反対尋問なしの、騒がしい「原告」芸人たちの主張で、「被告」会社の有罪の判決を出してきたのがメディアではなかったか。ワイドショーでは、話術のプロであるキャスターが、原告の主張ばかり取り上げて拡声する。
情報番組でも、外野有識者の場当たり的な発言が多かった。火に油を注いだのがネットである。公開私刑の如し、だった。デジタル時代の恐ろしさを目の当たりにして、企業の広報戦略の難易度が格段に高まってきたことを痛感する。
これは、どこの会社にも起こり得る事態だ。事業継続性管理や危機管理の重要性とともに、その前提を改めて肝に銘じなければならない。
残念ながら、「危機になると人は信用できない」という不信頼原則である。「身内」の間で、ざっくばらんに口頭で築いてきたはずの信頼関係や以心伝心の疑似家族観は、危機に臨むと無益、否、有害ですらある。
人が城を廃墟にしてしまう瞬間だ。仲の良かった家族でも、遺言書がない相続は直ちに「争」族になってしまうし、親友同士の話し合いに弁護士が入ってきたら喧嘩になる。