このコモンセンス・アプローチのなかには、社会のしくみとして必要不可避なケースも含まれる。例えば転職が多いアメリカでは、雇用するほうも急ぎで求人することが多いので、書類選考が終わると面接の日取りはバタバタと決まることが多い。
なので、あらかじめ予定して休暇をとっておいて面接を受けるということができないので、転職経験者の9割以上は、仮病を偽って会社を休み、面接を受けに行っていると思う。
それも嘘には違いないし、その仮病によって迷惑を被る人がいることを考えると、決して実害のない嘘とも言えない。しかし、それでも社会が転職の輪環によって成り立っていることを考えると、この嘘もやはりコモンセンスアプローチに入るのだ。
ところが、それでも「嘘」そのものは、強烈に嫌悪され、そして同時に、嘘をつく者に対する継続的な偏見は驚くほど強い。人種や性別による偏見を否定する社会は、「嘘をついた」過去を持つものに対しても、ここぞとばかりに強い差別意識を持つ。
例えば、十代の時にいたずらでマリファナを吸ったくらいのことでは警察官の採用基準に抵触しない。ところが面接でその若き日のマリファナ体験のことを隠し、あとで嘘発見器にかかってバレてしまうと、その応募者は絶対に警察官にはなれない。これは筆者が警察関係者から実際に聞いたところだ。
あるいは、車同士の事故が起きて、警察が呼ばれたとき、当然、双方の言い分は食い違うのが普通だ。しかし、たった1つでも微細なことで警察官が嘘を見つけると、そこからかなり断定的に自分の推測を押し付けていく。そして押し付けられるほうも、嘘がバレたと思うとしおらしくなってしまう。
法廷におていも、刑事事件であっても民事事件であっても、原告側でも被告側でも、相手が出してくる証人の証言を覆すとき、その証人が過去に嘘をついた事実を見つけるなどして、その嘘を陪審員の前で披露することによって弾劾するというのは、古典的にして今日でも最も強力な方法だ。
嘘の犠牲者が生涯背負う十字架
今回、アメリカで、一連の超有名大学への不正入学事件があったが、このほど最初の判決が下りた。人気ドラマ「デスパレートな妻たち」への出演などで知られる、女優フェリシティ・ハフマンに、長女の入学選考で不正を依頼したとして、共謀罪で禁錮14日の実刑が下ったのだ。
ハフマン被告は、同じく起訴された他の被告人たちと比べても、ずっと贈賄額は少なく(約160万円)、これまでの社会貢献や、初犯であることを考えると実刑は厳しすぎるという見方もある。
一方で、この実刑は、最も「嘘」を排除すべきである入学試験に、「嘘」を持ち込んだことに、社会として「見せしめ」を示そうとした陪審員の厳格な態度にも見える。あらためて、嘘つきは泥棒の始まりと忌み嫌うアメリカ人の文化を浮き彫りにしたかたちだ。
しかし、本件の本当の重みは、今回不正入学したことを、今後一生、就職や結婚や各種裁判の際にその名前がググられ、嘘つき者の烙印を押され、社会的に弾劾される「二等市民」として、この受験生が背負う十字架にあるだろう。
トランプ大統領が、一部の報道機関をフェイクニュースだと言い立ててひるまず、多くの国民がこれに乗っかって彼のツイッターをフォローするように、嘘ほどこの社会にまみれ、しかしそれであるのに嘘ほど社会から憎まれ、そのレッテルが生涯ついてまわるこの文化的複雑さは、日本人にはなかなかわかりにくい。
連載:ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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