一方、AIという言葉を「Alien Intelligence」(宇宙人知能)と解釈すべきだとするのは、『<インターネット>の次に来るもの』でデジタルの未来を説いたケヴィン・ケリーだ。われわれが知能を評価するIQは、あるパターンの認識を数値化しているだけで、それだけで知能を評価できる絶対的な基準ではない。
動物のIQは低いかもしれないが、人間を超える記憶力を持っていたり、臭覚や聴覚が優れて微妙な環境の変化を察知したりできる。音楽やスポーツの能力、職人技などはいわゆるIQで数値化はできないだろう。そうした総合的な環境適応能力を勘案しない限り、本来の知能を理解することはできない。
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』(ケヴィン・ケリー著、翻訳=服部桂、NHK出版、2016年)
このはっきりしない対象を理解するには、それらしいものを作って学ぶのが最も近道だろう。人間の知的に見える活動を、人間以外の機械に行わせて比較検討してみれば、もともと知的なものがどのように構成されているのかのヒントが得られるはずだ。もし宇宙人が地球に飛来してきて人間とコンタクトしたとしたら、初めて広い意味で知能に対する知見が得られるだろうし、それと同じことを人工的な宇宙人であるコンピューターに成り代わってやってもらってもいいのだ。
人間は生まれたときから人間の世界の一部であり、意識することなく社会の規範に取り込まれている。人間性などが問題になるのは、大災害や戦争、犯罪などによって自分の存在が脅かされたときで、日常生活の場面でいちいち「人間とは何か?」などと考えていては仕事にならない。こうした無意識下に置かれたいろいろな前提は、こうした深い場所にある前提が揺らいだ時に地下から湧き出してくる疑問となる。
コンピューターというただの機械にチェスで負けたり、外国語を上手に翻訳されたり、自動車を安全に運転されたりしたとき、「われわれは自分の能力とは何だったのか?」と、急に不安になる。そして必死にコンピューターに負けじと、人間にしかできない事は何かを考えるだろう。
問題の所在さえ分かれば、それはコンピューターなりがアルゴリズムや深層学習を通して、われわれより効率よく処理してくれる。良い解決より先に、良い質問。むしろわれわれ人間が考えるべきは、まだ問題にさえなっていない問題を見つけることだ。
AIという「魔法の言葉」に惑わされて、「いま手掛けないと乗り遅れる!」と業界のセールストークに巻き込まれる前に、「なぜAIがこうも喧伝されるのか?」「AIが対象にできないものは何なのか?」と一息ついてから論議を始めても遅くはない。