AIには一体何が足りないのか?

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いまや大コラムニストの小田嶋隆さんに、数年前にメディア研究誌用にアベノミクス批判の原稿をお願いした。てっきり首相の経済音痴の話が来るのかと思っていたら、それは意外な書き出しだった。曰く「マスコミが『アベノミクス』という言葉を使った時点で勝負はついていた」。

どういうことなのだろう? 「アベノミクス」という経済政策を指す造語を政治家が作り、マスコミも便利なので使ってそれが通称になってしまったが、小田嶋さんはこうした政権側の用意した舞台に安易に乗ってしまったマスメディアが、まんまと相手の術中にはまってしまったと指摘したのだ。

どんな言葉も広く使われるようになれば、誰もそれがなぜできたのかを問わなくなるが、特に政治家が作った言葉には裏がある。それが便利だとか一般受けしたという理由で使えば、それは裏に込めた意図も含めた先方の考えに暗に同意したと受け取られる。

有名なアンデルセンの童話「裸の王様」にあるように、王様が何も着ていなくても、臣下は新調したとされる「服」を誉めそやし意見するだけで、「服」そのものが存在しないと指摘できるのは、ピュアな目を持った外部の子どもだけだった。

つまり「アベノミクス」という「アベ語」で話せば、もうあなたは「アベ劇場」の住人なのだ。この言葉を使って論議していると、そもそも経済政策は何のためにあるのか?といった本質は見えなくなり、目先の数字や政策の差異や優劣だけを論じることになり、政策そのものの是非を問うことはなくなってしまう。

「フェイクニュース」の誤解

その論法で言うなら、「フェイクニュース」もトランプ用語だ。マスコミが使うので、一般名詞と受け取る人も多いが、これはトランプ語で「オレの気に入らないニュース」という意味の政治用語なのだ。ニュースは本来的に事実関係が確定する前には多様な見方や可能性を含んでおり、ほとんどの言説は結果的には間違いだったりするフェイクの要素を持っている。

ところが、この言葉を使う人たちは、次第にニュース本来の性質に注目しなくなり、トランプの指摘が正しいか間違っているかだけに目を奪われ、その裏にあるニュースの前提に盲目になってしまう。そして意味を取り違えた水掛け論を繰り返すうちに、トランプが意図した通り、マスコミが元々フェイクの温床であるかのような意見に囚われてしまう。
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文=服部 桂

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