言い訳はもう出尽くしたし、最終期限もとうに過ぎている。雇用や富を失う結果になったとしても、化石燃料の燃焼による発電は止めなければいけない。「秩序ある脱炭素化」というのは、遠回しに「あと数年は空気を汚染し続けよう」と言っているのと同じだ。
私たちは既に「秩序ある」を通り越し、気候の非常事態の中にいる。
これはもはや経済の問題ではない。一歩たりとも後退はできない。私たちは産業転換が可能だし、そうすべきだ。風力発電所やソーラーパネルを設置し、雇用を生み出す別の取り組みを進めるべきではあるが、もはや環境を犠牲にして雇用を守ることはできない。
米国の政治家の中には、経済のグリーン化と脱炭素化により雇用を生み出せることを理解し、「グリーン・ニューディール」政策を提唱する人々もいる。しかしこの取り組みが今も抵抗を受けているのは、既得権者にとって重要なのが雇用でなく利益だからだ。
産業転換を先延ばしする余裕はない。たとえ気に入らなくともやらなければならないのだ。これほどまでに産業転換の必要性がはっきりと示されたことは、歴史的にみてもほとんどない。反対を唱えることは、進歩に逆らうどころか、人類の存続に抵抗する行為なのだ。