ウルバンバ渓谷を見下ろすように岩壁の上に作られた段々畑では穀物が育てられ、1000人の人々の暮らしを支えるのに十分な湧き水も湧いていた。
しかし、なぜマチュピチュはこのような到達しにくい場所に造られたのだろうか。宗教的に重要な場所だという説もあるが、米国地質学会の会合で発表された研究論文で新たな事実が判明した。リオグランデドスール連邦大学が現地調査と航空写真の分析を行った結果、この遺跡は断層が交差する場所にあることが判明した。
マチュピチュは、北東から南西に伸びる断層と北西から南東に伸びる断層が交差する場所に建てられている。個々の寺院や建造物も断層に沿って並んでいるという。これは偶然ではなく、マチュピチュの人々は、2億5000万年前に発生した地殻運動で砕かれた花崗岩を、建造物を建てるために利用したのだという。
しかも、花崗岩を掘り起こした後の溝は、2000ミリメートル近い年間雨量を記録するこの土地で、地下水を排水する役割を果たしたという。排水することで落石や地滑りが起きることを防いでいたのだ。
他にもこの地域の遺跡では、オリャンタイタンボやインカ帝国の首都があったクスコ、ウルバンバ渓谷の村のピサックなどが、大断層の上に造られたことが航空写真の分析で明らかになっている。