AKB48グループ卒業から3年半。梅田彩佳が歩む、アイドルを辞めた後の「第二の人生」

梅酒のプロデュースも行う梅田彩佳


友人のひと言で気づいた「人生は1回しかない」という考え

そうした中で私がAKB48グループを卒業しようと思ったのは、友人から言われたひと言がきっかけでした。25歳になったくらいの頃、周りに30歳くらいの友人が増え始めて、彼らからこんなことを言われたんです。



「30歳になったときの自分を早く想像したほうがいいよ。もう少し、自分のやりたいこと、目標を明確にしないとマジでダメになるよ」って。

その言葉が当時の自分にはすごく衝撃的で。それまでは「このまま行けば順調にキャリアを形成できそうだな」という感覚だったのですが、その言葉を聞いて、「今のままじゃダメかもしれない」と思うようになったんです。

その言葉を2、3人に続けて言われたことで段々忠告されているような感覚になり、「今後の人生について、もっと考えなきゃ。そりゃそうだよな。人生は1回だし、やり直しは効かないし」と思うようになり、今後のキャリアについて真剣に考えるようになりました。

AKB48グループはすごく恵まれていて、ラジオ番組やバラエティー番組、歌番組など、いろんな仕事を経験させてもらえた。それを踏まえて、今後私は何がしたいのか。2年くらい考えた末にAKB48グループを卒業し、自分のやりたいことにチャレンジしてみようと思ったんです。

この決断はすごく勇気が入りましたし、最初は怖かったです。すごく怖かったんですけど、ひとつの小さな芸能事務所のようなAKB48グループの中にい続けていたら、自分は変われないんじゃないか、成長できないんじゃないか。そう考えるようになり、ちょうど10周年のタイミングだったので、「10年間がんばったよ」と言えると思い、卒業を決めました。

ゼロイチの苦労を乗り越えて実現した、昔からの夢

卒業後のキャリアに関しては、芸能界の括りに入らなかったとしてもやりたいことをやる、自分が死ぬときにやりたかったことを悔いなく全部やれたと言える人生にする、と考えていました。元々ミュージカルは好きだったので、卒業したらミュージカルがやりたいと思っていましたし、梅酒のプロデュースもファンからのひと言がきっかけだったのですが、「いつかやれたらいいな」と思っていたので、実現できてすごく嬉しかったです。

AKB48グループを卒業してからお酒も飲めるようになり、いろんなお酒を飲む中で、やっぱり自分は梅酒が大好きだなと思って。それで自分でプロデュースするにはどうすればいいんだろうと思い、友達に「周りに梅酒つくっている人いない?」と聞いてみたら、日本有数の梅酒メーカーである和歌山県の「中野BC」さんとつながっている人がいたんです。
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構成=新國翔大 写真=小堀将生

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